Church Channelとはセブンスデー・アドベンチスト教会員向けに提供しているプログラムです。

セブンスデー・アドベンチストの教理をご理解の上ご利用ください。

新着動画

神様の御手の中

十字架の愛に応答する

神様の御手の中

1915年、エレン・G・ホワイトという女性がこの世を去りました。彼女は70年にわたり、健康、教育、神学、家庭、信仰生活、祈り、そしてリーダーシップについて語り、書き続けました。彼女の著作は現在175以上の言語に翻訳され、アメリカ人作家として最多です。5,000の記事と40冊の書籍を著し、10万ページを超える手書き原稿を残しました。その膨大な著作の中で、最も力強い一節のひとつと言われているのが、次の言葉です。「天父のご臨在がキリストを取り囲んでいたので、無限の愛なる神が世の祝福のためにお許しになること以外は、何一つキリストの身に降りかかってこなかった。これが、キリストの慰めの源であった。わたしたちにおいてもそうである。キリストの御霊に満たされた人は、キリストのうちに宿っている。彼を狙う打撃は、ご臨在をもって囲んでいてくださるキリストに当たる。彼に起こることはみな、キリストを経てくるものである。キリストが彼の守り手であるから、彼は自分で悪に手向かう必要がない。主の許しがなければ、何ものも彼に触れることはできない。そして許されることはみな、相共に働いて彼を愛する者たちの益となるのである。」(エレン・G・ホワイト『祝福の山』新書版111ページ)なんというすばらしい約束でしょう!イエスさまとともに歩むとき、敵が私たちに向けて放つあらゆる攻撃は、まずイエスさまに当たり、イエスさまはそれを吟味して、私たちの益のために、共に働く試練だけを私たちに通してくださいます。私たちの人生は神様の御手の中にあります――これ以上、安全な場所はありません!

共に築く教会 (キューバ)

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

共に築く教会 (キューバ)

2026年1期

オーランドとビッグレスキュ (オーストラリア)

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

オーランドとビッグレスキュ (オーストラリア)

2026年1期

増え広がる種 (グローバル)

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

増え広がる種 (グローバル)

2026年1期

山の中の宣教学校 (パプアニューギニア)

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

山の中の宣教学校 (パプアニューギニア)

2026年1期

一本のつま先から、一歩ずつ(ソロモン諸島)

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

一本のつま先から、一歩ずつ(ソロモン諸島)

2026年1期

すべて持っている

十字架の愛に応答する

すべて持っている

弟子たちはイエスさまに尋ねたに違いありません。「主よ、本当ですか?本当に私たちを手ぶらで行かせたいのですか?金も銀も、銅貨さえもなしですか?バッグも替えの服もなしですか?えっ、サンダル一足さえもなしですか?!」イエスさまは答えられました。「そうです。ただ行きなさい。病人をいやし、病の人をきよめ、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい。」弟子たちは「何も」持たないように命じられましたが、イエスさまへの信頼によって「すべて」を持っていたのです。聖書はそれを「信仰」と呼びます。数年後、聖霊に満たされたペテロとヨハネが神殿に向かって歩いていると、足の不自由な男が施しを求めてきました。財布に一銭もなかったペテロの言葉には、神様への信頼があふれていました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒言行録3章6節)

特別報告:教団第39回定時総会

アドベンチストミッション(日本語オリジナル/吹き替え版)

特別報告:教団第39回定時総会

今年1月に開催された、セブンスデー・アドベンチスト教団第39回定時総会のご報告です。 前回はコロナ禍でのオンライン開催だったため、10年ぶりの対面で開催となりました。また今回は亀甲山教会をメイン会場として、2021年に新築された教団本部事務所や研修センターなど、横浜本部の施設で行われました。 本動画には、総会で選出された新役員の一言メッセージなども収録されています。 教団の活動をご紹介するアドベンチスト・ミッションの日本オリジナルの号外です。どうぞ、ご覧ください。

十字架に焦点を!

十字架の愛に応答する

十字架に焦点を!

聖書には、一見すると場違いに思える箇所があります。例えば、イエスさまが「体のともし火は目である」と語られたのは、「地上に富を積んではならない」「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6:19–24)といった、物質主義を戒める節のただ中でした。なぜこのような文脈で、目について語られたのでしょうか?私たちの地上の宝と、イエスさまの「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」という言葉は、私たちの「目」とどのような関係があるのでしょうか。イエスさまは、右目で天の宝を見つめながら、左目で地上の宝を追い求めるような愚かさを警告しておられるのではないでしょうか。そのような状態では、私たちは「焦点の定まらないクリスチャン」となり、永遠に価値ある事柄に対して、はっきりと焦点を合わせることができなくなってしまいます。両目をイエスさまの十字架に向け、はっきりと見据え、焦点の合ったクリスチャンでありましょう。