聖書研究ガイド(個人研究用)
十字架の愛に応答する
約四千年前、神様はアブラムに大きな祝福を約束されました。なぜ神様はアブラムを祝福されたのでしょうか。それは、彼が多くの人々への祝福となるためでした。アブラムは「祝福されるために祝福された」のではなく、「祝福となるために祝福された」のです。さらに約二千年前、イエスさまは弟子たちに、自ら受けた恵みを惜しみなく分かち合うよう勧められました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量をよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」ルカによる福音書6章38節イエスさまがこの言葉を語られて以来、真の弟子たちはこの教えに従って生きようとしてきました。使徒パウロは、富を持つ者たちに対して、「善を行い、良い行いに富み、物惜しみせず、喜んで分け与えるように」(テモテへの手紙一6章18節)、と勧めています。
聖書研究ガイド(個人研究用)
十字架の愛に応答する
1555年、ラティマーとドリーは殉教者として眠りにつきました。ドリーが処刑される前の晩、友人の一人が「今夜ずっとそばにいて慰めたい」と申し出ました。しかしドリーは丁寧にその申し出を断り、こう言いました。「神様の御心であれば、私は今夜、これまでの人生で最も静かに眠るつもりです。」どうしてドリーは、すべてを失おうとしている時に、そのような平安を持つことができたのでしょうか。なぜ裕福で健康な人々の中に強い不安を抱える人がいる一方で、貧しい人々の中に深い心の平安を持つ人がいるのでしょうか。私たちは人生経験を重ねるにつれて、平安とは「問題がないこと」ではなく、「神様が共にいてくださること」だと理解するようになります。真の平安は、外側の状況によるのではなく、心の内側にあるものなのです。完全な健康が必要なのではありません。大きな富が必要なのでもありません。理想的な 人間関係が必要なのでもありません。私たちは神様を見いだす時に、真の平安を見いだすのです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙 4章6、7節・新共同訳)
礼拝メッセージ
題:「世の終わり」(36分) 250927 説教者:藤田昌孝 聖書朗読:マタイによる福音書24章14節 瞑想の言葉:使徒行伝16章30、31節 「それから、ふたりを外に連れ出して言った、『先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか』。ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』。」 始めの讃美歌:希望の讃美歌128番 終わりの讃美歌:希望の讃美歌314節
礼拝メッセージ
題:「家に帰りたい」(31分) 250802 説教者:山地 悟 聖書朗読:詩編27編4節 瞑想の言葉:詩編27編8節(新共同訳) 「心よ、主はお前に言われる/『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。」 始めの讃美歌:希望の讃美歌14番 終わりの讃美歌:希望の讃美歌313番
礼拝メッセージ
題:「騒ぐことはない。まだ命がある」(32分) 240507 説教者:花田憲彦 聖書朗読:ペテロの第一の手紙5章8~11節 瞑想の言葉:E・G・ホワイト「レビュー・アンド・ヘラルド」1887年3月22日 「私たちはもはやサタンに惑わされたような状態にとどまっていてはなりません。私たちは恵みの時の終わりに急速に近づいています。神の前に自分がどんな状態であるか、だれもが問うてみなければなりません。いつキリストが私たちの名前を呼ばれるか、そしていつ私たちの裁きが最終的に決定されるか、私たちにはわかりません。どんな決定になるでしょうか。私たちは義人とともに数えられるでしょうか。それとも悪人とともに数えられるでしょうか。」 始めの讃美歌:希望の讃美歌111番 終わりの讃美歌:希望の賛美歌91番
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十字架の愛に応答する
オズワルド・チェンバーズは、『いと高き方のもとに(My Utmost for His Highest)』という本を書きました。この本は「史上最も愛されているデボーション書の一つ」とも言われています。その一つに、私たちの才能や賜物についてのこのような言葉があります。「私たちは、自分の賜物を神に献げることができると思っている。しかし、本来自分のものでないものを献げることはできない。」私たちは、自分の才能やお金、持っているものすべてが自分のものだと思いやすく、そこから得られる利益や賞賛、拍手を当然のように受け取ってしまいがちです。しかし、それは神様の方法ではありません。今日、私たちは、本来ささげられるべきお方に、すべての栄光をお返しする喜びの中に、真の平安と安息を見いだしたいと思います。