Church Channelとはセブンスデー・アドベンチスト教会員向けに提供しているプログラムです。

セブンスデー・アドベンチストの教理をご理解の上ご利用ください。

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分かち合う喜び

十字架の愛に応答する

分かち合う喜び

「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」ガラテヤ6章9節 マルメはザンビア西部の魚の豊富な町に住んでいました。彼が特に好きだったのは赤鯛でした。この魚は彼にとって最高のご馳走でした。しかし困ったことに、彼がこの大好きな魚を購入した日に限って予期せぬ来客があり、大好きな料理を分けることになるのでした。このようなことが繰り返され、彼は大変悩みました。 ある日、マルメは大きな赤鯛を買い、自分の手で丁寧に調理し楽しみにしながら食卓に向かいました。しかし、いざ食べ始めようとしたその時、ドアをノックする音が聞こたのです。彼は少しの間ためらいました。予期せぬ来客と食事を共にするべきか、それともノックは聞こえなかったことにして食事をするべきか、葛藤したのです。 結局、彼はしぶしぶ扉を開け、訪問者を迎え入れ、一緒に食事を分かち合いました。しかし、マルメは食事を訪問者と分かち合い続けるうちに、嫌だった気持ちが薄れていくのを感じ、やがて、誰かと分かち合わない限り、自分自身が食事を十分に楽しむことできなくなりました。 マルメのように、「喜びを感じるまで」分かち合うことを待つべきではありません。そのような時は永遠に訪れないかもしれないからです。むしろ、分かち合いを続けることによって、自分の中にある不快感をもたらす利己心が克服できるのです。什一と統合約束献金をお返しする今、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)という御言葉を心に留めて、神様に感謝しましょう。

礼拝メッセージ209 落ち着く時

説教者 :島田隼人 250503 聖書朗読 :イザヤ書 30 章 15 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「祝福の山」奉仕の真実の動機 「もし日ごとに主を求めて悔い改め、みずから進んで神にある自由と喜びの経験を味わい、神の恵み深い招きに喜んで応じ、キリストの服従と奉仕のくびきをになうなら、つぶやきはすべてなくなり、困難はすべて取り除かれ、現在直面している複雑な問題もことごとく解決される。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 272 節

礼拝メッセージ208 主に祈ろう

説教者 : 齋藤愛輝 240907 聖書朗読 :ヤコブの手紙5章 13 節 瞑想の言葉 :ヤコブの手紙5章 13 節 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 11 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 353 番

礼拝メッセージ207 海を開いた小さな祈り

説教者 :花田憲彦 230909 聖書朗読 :ヨハネによる福音書 15 章7節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」中巻 90,91 頁 「神は、しいたげられている者の叫びを聞くために、み座から身をかがめておられる。真心からの祈りの1つ1つに対して、『わたしはここにいる』と、神はお答えになる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 353 番

天が歓声を上げた日

十字架の愛に応答する

天が歓声を上げた日

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 先週は、「神様のご命令に従うことが、神様を畏れる者の特徴である」と考えました。今日はもう一つの教訓について考えます。アブラハムは神様に自分の独り子をお献げすることを拒みませんでした。この例によって、「神様を畏れる者は神様に何でも惜しみなくお献げする」、と学び取ることができます。 アブラハムが息子を献げるという試練を見事に乗り越えた信仰が、神様と天の住人に見過ごされることはありませんでした。エレン・ホワイトはこの場面を次のように美しく描写しています。「全天は驚嘆と賞賛をもって、アブラハムの断固とした服従を見守った。全天は彼の忠誠に賛嘆の声をあげた」(『希望への光』76ページ)。 アブラハムがその従順を身をもって表したとき、天は歓喜に包まれました。現代の言葉で言うならば、「天は総立ちで、父アブラハムに拍手喝采をした」、と言えるでしょう。「アブラハムがイサクを献げた!」という歓喜の瞬間でした。 サタンは、私たちが神様に従い、忠実に惜しみなく献げることを思い留まらせようとするかもしれません。しかし、私たちが神様の声に耳を傾けるか、それともサタンの声に耳を傾けるのか、神様と天の全てが私たちの選択を見守っていることを忘れてはなりません。 什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが従順と最善を尽くして神様にお返しすることによって、「行動に移す信仰」が全天に喜びをもたらすこととなりますように。

神様の声に従う信仰

十字架の愛に応答する

神様の声に従う信仰

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 アブラハムは、誰もが経験したくない試練に直面しました。彼に求められたことは、自分自身と妻サラの心を引き裂くような行為でした。それにもかかわらず、アブラハムは神様の命令に従おうとしました。この聖句には重要な教訓が二つあります。今回はその1つ目に焦点を当て、もう1つは次回考えます。アブラハムは行動によって神様を畏れる心を示しました。神様が、息子を生贄として献げなさいと命じたとき、アブラハムはそれに従いました。彼は言い訳をせず、また息子が「たった一人の子」であり、「約束の子」であることを神様に思い出させるようなこともしませんでした。神様の言われたことに従うことは、神様を畏れる人の特徴の一つです。神様の定めはマラキ書3章10節で「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ」と記されています。私たちもアブラハムのように、「十分の一の献げ物をすべて倉に」納めることによって神様を恐れる者であることを表したいと思います。什一と統合約束献金を倉に納める今、神様を畏れる者であることを表明いたしましょう。そして、アブラハムが神様の御命令に従い、「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった」という御言葉が、私たちへの御言葉ともなりますように。

最高の贈り物への応答

十字架の愛に応答する

最高の贈り物への応答

与えることは、信仰の行為であり、強力なつながりを生み出します。何よりも、心と心を結びつけるのです。 神様が、ご自身のひとり子をお与えになったとき、天と地を結ぶ、最も偉大な「つながり」が生まれました。イエスさまという贈り物を通して、神様は天と地を結びつけ、ご自身との愛の関係へと私たちを導いておられるのです。 神様との絆はどのようにして、強まるのでしょうか。それは、十字架で示された神様の愛を知ることによって強まります。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節) 神様が与えてくださった独り子であるイエスさまを知ることによって、私たちの心は神様と結ばれ、神様に全てをお返しする存在へと造りかえられるのです。 什一と統合約束献金をお返しする今、神様からの最大の贈り物であるイエスさまの愛に応答することができますように祈りましょう。 自分の願いは最後にし、神様を第一にすることができますように。

どんな状況でも神様を第一

十字架の愛に応答する

どんな状況でも神様を第一

「柔らかな応答は憤りを静め 傷つける言葉は怒りをあおる。」箴言15章1節 パテノは、物腰の柔らかいビジネスマンです。ある日、仕事の用事で移動中、ガソリンスタンドに立ち寄り、タイヤの空気を補充することにしました。ところが、先に到着していた別の運転手が不適切な駐車をしていたため、パテノはその人の車の前に駐車するしかありませんでした。 店から出てきたその運転手は、パテノの駐車の仕方に腹を立て、怒鳴り始め、心ない言葉を浴びせてきましたが、パテノは冷静さを失わず、微笑みながら挨拶をし、すぐに車を移動させました。 パテノは、その運転手に罵声を浴びせられた時、神様を第一に考えることを選んでいたのです。 パテノが車を発進させると、あの運転手が車で近づいてきて質問してきました「どうして挑発されても冷静でいられたんだ?」。パテノは笑顔で答えました。「私は神様を畏れるクリスチャンでして、無理してあのような態度になった訳ではなく、これが私なんです」。パテノは続けて神様について語り、神様が彼を変えてくださったことや、人に対して親切に接するように導かれていることを話しました。 これを聞いた運転手は、自分が直面している困難な状況をパテノに打ち明けました。パテノは彼のために祈ることを約束し、「どんな困難でも神様が解決に導いてくださいますよ」と確信を持って伝えました。 日常生活で神様を第一にすることを選ぶと、すべてにおいて神様を第一にすることが自然になります。 私たちの生活で神様が一番になっていれば、什一や献金をお返しすることも心からの喜びとなるのです。今日、私たち一人一人が神様を第一に考えて生きることができますように。