Church Channelとはセブンスデー・アドベンチスト教会員向けに提供しているプログラムです。

セブンスデー・アドベンチストの教理をご理解の上ご利用ください。

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そのとおりにしてください

十字架の愛に応答する

そのとおりにしてください

経済的に厳しく、必要が多いときでも、あなたは神さまを第一にすることができるでしょうか。 ケニアのマーガレットさんは、持っているものがごくわずかであっても、十分の一と献げ物をささげることで、恐れではなく信仰を選びました。彼女の体験は、忠実な管理とは豊かさの有無ではなく、信頼と従順、そしてその後に続く祝福にあることを示しています。

失望することがない

十字架の愛に応答する

失望することがない

「主を信じる者は、だれも失望することがない」ローマ人への手紙10章11節 少年フレディのお話です。フレディが小学校3年生のとき、みんなは良い成績なのに、自分だけいつも点数が悪く、学校を辞めようと考えたこともありました。そんなとき、彼の心にひとつの考えが浮かびました。それは、「自分の悩みを神様に打ち明けよう」というものでした。その考えが浮かんだフレディは、ひざまずいて祈りました。「神様、僕が勉強でどれほど苦労しているか、あなたはご存じです。友達はみんな良い点数なのに、僕だけ追試で、いつも笑われています。どうか僕も高得点が取れるように助けてください。僕は神様を心から信じています。神様を知らない人たちを助けることができるなら、神様を信じている僕を助けてくださらないわけがありません。どうか神様、これからは良い点数を取らせてください。アーメン。」神様とお話しした後、フレディは決意を新たにして勉強に取り組みました。数週間後、先生から「この前のテストの結果はフレディが一番でした」と発表され、大変驚きました。この忘れられない日以来、フレディはクラスで一位をキープし続けており、自分を成績優秀者に変えてくださった神様に心から感謝しています。「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマ10:11)と聖書に書かれています。什一と統合約束献金をお返しする今、神様の祝福に感謝し、すべての必要を満たしてくださることを信じてお献げいたしましょう。

分かち合う喜び

十字架の愛に応答する

分かち合う喜び

「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」ガラテヤ6章9節 マルメはザンビア西部の魚の豊富な町に住んでいました。彼が特に好きだったのは赤鯛でした。この魚は彼にとって最高のご馳走でした。しかし困ったことに、彼がこの大好きな魚を購入した日に限って予期せぬ来客があり、大好きな料理を分けることになるのでした。このようなことが繰り返され、彼は大変悩みました。 ある日、マルメは大きな赤鯛を買い、自分の手で丁寧に調理し楽しみにしながら食卓に向かいました。しかし、いざ食べ始めようとしたその時、ドアをノックする音が聞こたのです。彼は少しの間ためらいました。予期せぬ来客と食事を共にするべきか、それともノックは聞こえなかったことにして食事をするべきか、葛藤したのです。 結局、彼はしぶしぶ扉を開け、訪問者を迎え入れ、一緒に食事を分かち合いました。しかし、マルメは食事を訪問者と分かち合い続けるうちに、嫌だった気持ちが薄れていくのを感じ、やがて、誰かと分かち合わない限り、自分自身が食事を十分に楽しむことできなくなりました。 マルメのように、「喜びを感じるまで」分かち合うことを待つべきではありません。そのような時は永遠に訪れないかもしれないからです。むしろ、分かち合いを続けることによって、自分の中にある不快感をもたらす利己心が克服できるのです。什一と統合約束献金をお返しする今、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)という御言葉を心に留めて、神様に感謝しましょう。

礼拝メッセージ209 落ち着く時

説教者 :島田隼人 250503 聖書朗読 :イザヤ書 30 章 15 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「祝福の山」奉仕の真実の動機 「もし日ごとに主を求めて悔い改め、みずから進んで神にある自由と喜びの経験を味わい、神の恵み深い招きに喜んで応じ、キリストの服従と奉仕のくびきをになうなら、つぶやきはすべてなくなり、困難はすべて取り除かれ、現在直面している複雑な問題もことごとく解決される。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 272 節

礼拝メッセージ208 主に祈ろう

説教者 : 齋藤愛輝 240907 聖書朗読 :ヤコブの手紙5章 13 節 瞑想の言葉 :ヤコブの手紙5章 13 節 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 11 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 353 番

礼拝メッセージ207 海を開いた小さな祈り

説教者 :花田憲彦 230909 聖書朗読 :ヨハネによる福音書 15 章7節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」中巻 90,91 頁 「神は、しいたげられている者の叫びを聞くために、み座から身をかがめておられる。真心からの祈りの1つ1つに対して、『わたしはここにいる』と、神はお答えになる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 353 番

天が歓声を上げた日

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天が歓声を上げた日

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 先週は、「神様のご命令に従うことが、神様を畏れる者の特徴である」と考えました。今日はもう一つの教訓について考えます。アブラハムは神様に自分の独り子をお献げすることを拒みませんでした。この例によって、「神様を畏れる者は神様に何でも惜しみなくお献げする」、と学び取ることができます。 アブラハムが息子を献げるという試練を見事に乗り越えた信仰が、神様と天の住人に見過ごされることはありませんでした。エレン・ホワイトはこの場面を次のように美しく描写しています。「全天は驚嘆と賞賛をもって、アブラハムの断固とした服従を見守った。全天は彼の忠誠に賛嘆の声をあげた」(『希望への光』76ページ)。 アブラハムがその従順を身をもって表したとき、天は歓喜に包まれました。現代の言葉で言うならば、「天は総立ちで、父アブラハムに拍手喝采をした」、と言えるでしょう。「アブラハムがイサクを献げた!」という歓喜の瞬間でした。 サタンは、私たちが神様に従い、忠実に惜しみなく献げることを思い留まらせようとするかもしれません。しかし、私たちが神様の声に耳を傾けるか、それともサタンの声に耳を傾けるのか、神様と天の全てが私たちの選択を見守っていることを忘れてはなりません。 什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが従順と最善を尽くして神様にお返しすることによって、「行動に移す信仰」が全天に喜びをもたらすこととなりますように。

神様の声に従う信仰

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神様の声に従う信仰

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 アブラハムは、誰もが経験したくない試練に直面しました。彼に求められたことは、自分自身と妻サラの心を引き裂くような行為でした。それにもかかわらず、アブラハムは神様の命令に従おうとしました。この聖句には重要な教訓が二つあります。今回はその1つ目に焦点を当て、もう1つは次回考えます。アブラハムは行動によって神様を畏れる心を示しました。神様が、息子を生贄として献げなさいと命じたとき、アブラハムはそれに従いました。彼は言い訳をせず、また息子が「たった一人の子」であり、「約束の子」であることを神様に思い出させるようなこともしませんでした。神様の言われたことに従うことは、神様を畏れる人の特徴の一つです。神様の定めはマラキ書3章10節で「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ」と記されています。私たちもアブラハムのように、「十分の一の献げ物をすべて倉に」納めることによって神様を恐れる者であることを表したいと思います。什一と統合約束献金を倉に納める今、神様を畏れる者であることを表明いたしましょう。そして、アブラハムが神様の御命令に従い、「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった」という御言葉が、私たちへの御言葉ともなりますように。