あなたの富のあるところに

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

あなたの富のあるところに

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祝福の掛け算勘定

サレプタのやもめの心は飢えに苦しむ息子を見て悲嘆に沈んでいました。ある朝、彼女の心配は現実となり、あと一食分の小麦粉と油だけになりました。彼女は暗い気持ちで最後の食事を作るため、木の棒を集めに出かけました。 彼女が物思いにふけっていると、エリヤが水を飲ませてほしいと頼んできました。見知らぬ人に水をあげるのは問題ありません。コップ一杯の水が彼女の生活を脅かすことはなかったからです。ところが、彼女がエリヤのために水を汲みに行くと、エリヤは突然彼女を呼び止め、パンも持ってくるようにと頼んだのです。 エリヤに現状を伝えた彼女は、エリヤを通して伝えられた神様のメッセージに応えます。 彼女は自分の差引勘定の限界を認め、神様の掛け算勘定に従うことを決意しました。絶望的な状況に対する答えとして、神様の提案を受け入れたやもめの人生は変えられたのです。 やもめに対するエリヤの視点は、今日の私たちにも当てはまります。私たちが十分の一や献金をお返しできない多くの理由の一つは、私たちが恐れているからです。私たちはいまだに差引勘定を信じ、忠実であることが経済的困難に繋がると信じ込んでいます。 今日、私たちの恐れを捨て、信仰によって、この世の一時的な差引勘定から離れ、天の永遠の掛け算勘定を受け入れることができますように祈り求めましょう。

祝福への応答

十分の一が初めて言及されたのは旧約聖書の創世記です。14 章の冒頭に、アブラムと 「いと高き神」の祭司であるメルキゼデクという王様との興味深い出会いが記されていま す。アブラムが敵から財宝を取り戻した直後、祭司は彼に特別な祝福を与え、創世記 14 章 20 節に記されているように、「アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈り」ました。 ここには感謝に満ちた家長がメルキゼデクを通して自分の得たものの十分の一を神様に お返しした姿が描かれています。十分の一をお返しする前にアブラムはメルキゼデクから 三つの貴重な教えを受けました。 1. 祝福は忠実さを表す前にもたらされます。まず神様が祝福してくださり、その祝福 に応えて私たちは忠実さを表すのです。 2. 神様は「天地の造り主」(創世記 14 章 19 節)であり、すべてを所有しておられる お方です。 3. 神様は私たちを敵の手から救い出してくださいました(創世記 14 章 20 節)。安 息日に神様を礼拝し、十分の一と献金をお返しするとき、私たちは神様が勝利を 与えてくださったことを改めて確認するのです。 時代を超えて、安息日を守り、十分の一と献金をお返しすることが、神様を礼拝するす べての人の献身のしるしとなっています。与えられた祝福に感謝し、心から十分の一と献 金をお返ししましょう。

「テント職人」の歯医者

離婚を決意した夫婦が裁判官のもとに出廷する日を決めました。ある日、妻は歯が痛く なり、歯医者に行くことになりました。その歯医者では讃美歌が流れており、気になった 彼女はその歌詞の意味を歯医者に尋ねました。すると歯医者は罪と救いのことを彼女に 説明したのです。 興味を持った彼女は聖書が欲しくなり、歯医者は彼女に聖書を渡し、牧師との聖書研 究を勧めました。聖書研究を始めて間もなくして彼女は「聖書には離婚について何と書い てありますか?」と尋ねました。牧師は小声で導きを祈り、イエスさまが離婚について何と 言われているか彼女に見せました。彼女は激怒し、「今の世の中でそんなことはありえな い」と叫びました。 牧師は彼女に、聖書を学び続け、夫との夫婦関係のために祈ることを勧めました。彼女 は祈り始め、彼女の中で何かが変わり始めました。裁判の前夜、彼女は夫に、離婚はした くないと伝えたのです。 翌日、彼女は離婚したくないことを裁判官に伝えました。夫は彼女をじっと見てから、裁 判官に言いました、「私もです。」その後、夫も聖書に興味を持ち始め、今では二人で教会 に通っています。自分の仕事を通して堂々と福音を語ってくれた歯科医のおかげで福音 は広まったのです。什一と献金をお返しする今、自分が神様の宣教のために何ができる かを祈り求めましょう。

神様の御心

真の礼拝の最も重要な原則の一つは、次の言葉で表すことができます。「礼拝とは、私 の願いではなく、神様の御心を行うことです。」イエスさまが人として地上に生きておられ たとき、「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣 わしになった方の御心を行うためである」(ヨハネによる福音書 6 章 38 節)と言われま した。 イスラエルの民は、自分たちの土地を奪おうとする部族たちに囲まれていました。無防 備な家々に敵が押し寄せ、火と剣で破壊されるのを、どうやって防ぐことができるでしょ うか?侵略を防ぐ方法はあるでしょうか?神様はご自分の民を守ると約束されました。 神様から与えられている御心に従うことによって、イエスラエルの民は守られたのです。 ある人は「仕事を続けたいなら、安息日よりも日曜日を守った方がいい。その方が安全 だ」と言うかもしれません。十分の一や献金に忠実であることが安全だと感じられない時、 神様がイスラエルの人々に、神様が命じられたことを行っている限り安全であると言われ たことを思い出してください。神様の御心を行う忠実な管理者として用いられますよう に祈り求めましょう。

医療の働きを超えて

韓国の首都ソウルで医療宣教師として奉仕することに人生の大半を捧げたルー博士と 彼の家族は 1929 年に診療所を開業しました。ソウル療養所(後のソウル病院)は 8 床の 医療機関としてスタートしました。その後世界中からの献金により 138 床の小さな病院 を建設する道が開かれました。 ルー博士のたゆまぬ努力は当時の大統領の目に留まり、大統領はルー医師を専属医とし て採用しました。しかし 1950 年、朝鮮戦争が勃発したため、病院の仕事は中断せざるを 得なくなり、ルー医師は難民のケアと新しい病院の開設のため、南部に派遣されました。 終戦後、多くの建物は廃墟と化していたにもかかわらず、ソウル病院は奇跡的に残って いました。なぜでしょうか?後日、ある人物がルー博士に聞いたところによると、北朝鮮 の高官が彼の患者であったため、ソウルへの侵攻が行われている間、その高官は兵士た ちに「病院に手を触れるな」と命じていたとのことでした。 ルー博士の体験談は、世界宣教のために起こった体験談の一つに過ぎません。 十分の一と統合約束献金をお返しする今、様々な方法を通して福音が広まっていること に感謝し、私たちにできることを祈り求めましょう。

キリストの品性へ

忠実であることによってもたらされる最大の恩恵は、品性が変えられることです。資源、時間、身体、賜物など、神様に委ねるようにと仰せられているものを私たちが委ねるとき、私たちの心から利己主義が取り除かれ、愛と優しさを受け入れるゆとりが生まれます。そうすることで、私たちの品性はキリストに似た者と変えられていくのです。 エレン・G ・ホワイトは、この原則を繰り返し示しています:「福音は絶えざる慈善の行いによって堕落した人類に神の形を回復するという原則の上に立てられたものであって、これが福音の輝きである」(『祝福に満ちた生活』16 ページ)。またこのようにも述べています。「神が慈善の制度を計画なさったのは、人が慈善と無我の品性において創造者に似た者となり、ついにはキリストと共に永遠の輝かしい報いに預かる者となるためなのである」(『祝福に満ちた生活』1818,19 ページ) 十分の一や献金をお返しせず、忠実であることを選ばなかった時、教会が資源不足に苦しむのではなく、あなたの心の中で利己主義が強まり、支配的になることなのです。一方、神様があなたの手に置かれた資源を忠実にお返しするとき、利己主義は退けられ、キリストの品性へと変えられていくのです。私たちの利己的な望みを最後にし、神様を第一にするという献身の心を祈り求めましょう。

神様のために!

ロバートは土木機械の発明家として活躍し、設計・製造した機械によって億万長者になりました。しかし彼は、機械への愛情が神様への愛と献身に取って代わるのではないかと心配し始め、妻のエブリンと共に神様に献身し、自分の持っている資源を福音宣教のために用いる決心をしました。 自分の持っているものの90 パーセントを神様に献げ、残りの10 パーセントで生きていこうと決心したことで、彼の話は有名になりました。それ以来、彼は 「神様のビジネスマン」として知られるようになりました。ある日、ある人が彼に質問しました。「ロバートさん、収入の90 パーセントを主に献げているというのは本当ですか?」 彼は答えました。「いいえ、神様には何もお献げしていません。すべて神様のものです。私は、神様のもののうち10 パーセントを保持させて頂いているだけの者です。」 この話は、寛大さの素晴らしい模範を示しています。神様は、私たちが手に入るものは何でも神様のために用いることを心から期待しておられます。わずかなパンと魚、やもめのわずかな小麦粉と油など、一見取るに足らないようなものを用いて神様がなされた御業を、聖書を開いて確認いたしましょう。

忠実さの原則

十分の一の分配の使途についてよく聞かれる質問は、「十分の一が聖なる資源であるなら、慈善事業や教会建築・改築などの聖なる働きのために使うことはできないのか?」というものです。 十分の一の配分の原則はモーセに啓示され、モーセ五書を通して示されています。民数記にはこのように記されています、「見よ、わたしは、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である」(民数記18 章21 節)。レビ人の報酬は十分の一でまかなわれていました。レビ族の報酬の目的は、彼らが宗教的な働きに自分の時間を完全に献げることができるようにするためでした。 パウロはこの原則を再確認しています。「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」(コリントの信徒への手紙一9 章13 節、14 節)十分の一と献金をお返しする今、神様のみ言葉に示されている原則に従って生きることを祈り求めましょう。

「寛容」による救い

1世紀のクリスチャンの寛容さは、彼らの特徴の一つでした。彼らは莫大な富や建物を持っていたわけでも、世間に認められていたわけでもありません。しかし、寛容さとキリストにあって一つとなっていることによって民衆全体から好意を寄せられていたのです。自己中心的な生き方から解放され、クリスチャンたちは神様のために献身的に生きていました。 私たちは神様のために何か犠牲を払っているでしょうか。責任も約束もしない気楽な人生を選ぶこともできます。しかし、人生を神様に献げると決めた者だけが、真の意味でクリスチャンと呼ばれることができるのです。献身的な生き方だけが本物の信仰を育み、神様の御業を感じ取り、そして奇跡を体験するのです。神様が今日私たちを招いておられるのは、私たちに真の喜びと奇跡を体験してほしいからなのです。 もし私たちが救いの為に深く関わるなら、後ろを振り返って後悔することは決してありません。一方、自己中心的な人生を送る時、利己主義と貪欲が自分の人生を無意味なものにしていることに気づくのです。今日、キリストによってもたらされる寛容と他者への愛が、真のキリスト教の特徴であることを確認しましょう。聖霊によって、献身の心が与えられますように祈りましょう。

賢く教える

聖書はこう言っています。「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」(箴言22:6)。 エレン・G・ホワイトは次のように強調している。「賢明な主は、家庭があらゆる教育機関の中で最高のものとなることを定められた。子どもの教育は家庭で始めなければならない。…子どもはここで両親を教師として、生涯を通じて彼を導く教訓、すなわち尊敬、服従、敬神、自制の教訓を学ぶ。」(『希望への光クリスチャン生活編』674ページ、『アドベンチスト・ホーム』28章)。では、どのようにして子供たちにスチュワードシップの価値観を教えるのでしょうか?

2人の兄弟、2つの献げもの

カインとアベルは、終末まで存在する神を信じることを公言する2つの階級を象徴しています。カインもアベルも、両親から直接、殺された小羊がキリストの象徴であり、神が人類を救う手段であることを学びました。彼らはまた、神が定めた供え物の制度を通して、来るべき救い主への信仰を表すべきであると学びました。しかし、この学びに対する二人の反応はまったく正反対でした。

私の全ては主のもの

イエスを贖い主、救い主、そして主と受け入れた後の心の祈りは、。「救い主よ、私は全くあなたのものです。あなたは私の魂のために身代金を払われました。私の現在と未来はあなたのものです。愚かな消費や自己満足のためでなく、あなたご自身のみ名の栄えのために用いるために資金を得させてください」(『祝福に満ちた生活』p.55)。

このシリーズについて

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。

神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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