あなたの富のあるところに

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

あなたの富のあるところに

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イエスさまはなぜ来られないの?

ある日、教会で説教者がイエスさまの再臨について説教しました。その安息日の出席者の中にビッキーという小さい女の子がいました。イエスさまがこの世の苦しみを終わらせるためにもうすぐ来られると聞いて、とても喜ん でいました。 イエスさまの再臨の話から 2 ヵ月後、ビッキーは両親に、「なぜイエスさまはまだ来ないの?」と尋ねました。説教者が、「主の再臨が近い」と言っていたからです。両親は言いました。「そうだね、イエスさまはもうすぐ来るよ。 でも、イエスさまは、みんながイエスさまの福音を聞くのを待っているんだよ。」ビッキーは両親に尋ねました。「福音を全世界に伝えるために、私にもお手伝いできることがあるかしら。」両親が、福音を広める一つの方法が什一と献金をお返しすることだと説明すると、ビッキーはすぐに聞き返しました。 「パパとママは什一と献金をお返ししているの?」。「もちろんしているよ」と両親は答えました。 イエスさまは私たちが受けている苦しみを終わらせるために、再臨することを願っておられます。そして、多くの人がイエスさまのことを聞いて信じることを待っておられます。私たちが心からお返しする什一と献金によって、 福音を伝えるためのプログラムが支援され、まだイエスさまを知らない人々に届けられているのです。そして、私たち自身も、他の人々の忠実さの結果としてここにいるのです。 1 日も早く福音が世界中に広がりますようにお祈りましょう。

自分も献げたい!

「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。 箴言22章6節 ケジアと彼女の家族は、ザンビアの首都ルサカに住んでいました。ある日の夕礼拝、什一と献金について話しあいました。ケジアの父親は教団のスチュワードシップ部長だったため、この話題は家族にとっても、とても大切な話しでした。話し合いが進む中で、ケジアの父親は、什一を忠実にお返しし、献金を計画的にお献げするようにと、お勧めをしました。 するとケジアが言いました。「パパ、私たちみんな什一をお返しし、献金をお献げしていると言った?」父親は「そうだよ」と答えました。すると彼女は首を横に振って、「ううん、パパ。私は什一も献金もしてないわ」と言いました。両親は、家族でまとめて什一と献金をお返ししていたので、ケジアの言っている意味が分かりました。両親はそれで十分だと思っていましたが、ケジアにとっては、そうではなかったのです。 次の週、両親は子供達に什一と献金を渡し、自分で献げることを教えました。安息日の終わる夜、ケジアは父親に言いました、「パパ、今日、什一と献金をお返ししたよ!」みんな微笑み、「アーメン」と言いました。それ以来、ケジアの両親は子供たちにお金を渡し、自分で什一と献金をお返しすることを学び、お献げすることができるようにしました。 献金をお献げする今、将来、子供たちも「什一と献金をもって神様を礼拝したい」という信仰が与えられますように、お祈りいたしましょう。

おじさん、これじゃなにも買えないわ!

ある都市に、両親と幸せに暮らしている少女がいました。ある日、海外から親戚のおじさんが彼女の家を訪れました。久しぶりに会うおじさんに、家族みんなが大喜びでした。 おじさんはケジアのためにお菓子を買ってきてくれました。ケジアはそれを感謝しながら受け取り、驚いたことに、彼女はお菓子と一緒にお札も貰ったのです。彼女はお札をよく見ることなく、自分の部屋へ駆け込み、お菓子を食べることに夢中になりました。お菓子を食べ終わったケジアはおじさんから貰ったお札を確認しました。すると、喜びは悲しみに変わったのです。 ケジアは父親と楽しそうに話しているおじさんのところへ駆け寄り、「おじさん、これじゃなにも買えないわ!」と叫びました。驚いたおじさんはケジアの父親に、「このお札では何も買えない」というのは本当ですか?と尋ねました。父親は答えました。「はい、これでは何も買えません。何かを買うには、このお札が 2 枚必要なんです」。 今日の私たちはいかがでしょうか?なにも買えないようなお金を神様にお献げしてはいないでしょうか?献げる献金が僅かであっても、それが心からの献げ物であるなら、神様は喜んで受け入れてくださいます。神様は、イエスさまという最高の贈り物をくださいました。私たちも、神様に最高のものをお献げいたしましょう。 今日も、そしてこれからも、献金をお献げするとき、私たちが持っている最高のものを神様にお献げすることを忘れないようにいたしましょう。

最善なものを神様に!

「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」。ルカによる福音書 6章38節 ある日、2 人の男性が思いつくままに話をしていました。話を続けるうちに、一人が言い出しました。「ずっと小銭を貯めていたんだけど、どうしたらいいかわからないんだ」と話しました。小銭の枚数は多いものの、価値は微々た るもので、なにか意味のあるものが買える金額ではありませんでした。 彼は友人に尋ねました。「この小銭、どうすればいいと思う?」少し考えた友人は、小銭を持って行いける一番いい場所を伝えました。「一番良いのは教会だよ。教会はどんな金額でも受け取ってくれるから。」数日後、二人は再会しました。友人は自分のアドバイス通り実行されたか、知りたくて尋ねました。「小銭、教会に持っていった?」すると男性は答えました、「うん!処分できたよ!」 使い道のないものを処分する方法として、神様に献げ物をする人がいます。自分の献金の習慣を考えてみましょう。要らなくなったもの、使い道のないものを処分するために、献金してはいませんか?什一と献金をお返しする今、不要なものを処分するためにお献げするのではなく、神様が私たちに最高のものを与えてくださったように、私たちも自 分の持っている最高のものを、お献げいたしましょう。

分かち合う神様

「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」。コロサイの信徒への手紙 1章16節 金、ダイヤモンド、ウランなどの貴重な鉱物も、地球上の暮らしに大きな 影響を与える石油などの資源も、すべてイエスさまによって、イエスさまの ために創造されました。要するに、目に見えるものも見えないものも、私た ちのためではなく、イエスさまのために造られたのです。 これらの資源を利用できているのは、イエスさまが惜しみなく私たちに分 け与えてくださっているからです。その祝福を忘れないためにイエスさまは、什一を献金と共にお返しすることを求めておられます。所有者である神様に、神様のものをお返ししないのは、おかしなことではないでしょうか。祝福を受けるたびに、自分が得たすべてのものの所有権は救い主にあることを認める心を祈り求めましょう。 什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが神様の所有権と慈愛を認め て、喜びで満たされますようにお祈りいたします。

幼い時から教える

「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」。 テモテへの手紙二 3章14節、15節 パウロは、テモテにその確信から離れないようにと励まし、幼い頃から聖 書に親しんできたことを思い出させ、家庭の教育の重要性を強調しました。 テモテの霊的な基盤は、彼が家庭で受けた教育の結果であると結論づけるこ とができます。幼いころに家庭で教えられたことが、将来のより大きな責任 を果たすための備えとなったのです。 エレン・G・ホワイトもまた、教会とその全体的な健全性を形成する上で、 家庭の影響の重要性を強調し、「教会の繁栄の基礎は、家庭で築かれる。家庭を支配している影響力は、教会生活の中に持ち込まれる。だから教会の種々の義務は、まず家庭で始められなければならない」(エレン・ホワイト 『希望への光 クリスチャン生活編』750 ページ)と記しています。 什一と統合約束献金を神様にお返しする今、十字架で命を与えてくださっ たイエスさまに心を向けて、幼い子どもたちにも、什一と献金による神様へ の礼拝を、早いうちから教え始めましょう。

神様の方法で祝福される

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。ローマの信徒への手紙8章28節 デキスターは妻とその友人と共に野菜市場に買い物に行きました。車での帰り道、女性たちは別の店に立ち寄る用事がありました。彼女たちが車を降りた後、デキスターは自分の 2 台の携帯電話がないことに気づきました。彼は急いで野菜市場に戻りましたが、携帯電話は見当たりませんでした。落胆したデキスターは紛失届を出すため、警察署に向かいました。手続きを終えたデキスターが警察署を出ると、道の向こう側に2人の男性が立っているのが見えました。気になったデキスターが状況を説明すると、「あなたの携帯を拾いましたよ!」と言われたのです。そして、10 万円以上する携帯電話を二つ受け取ることが出来ました。デキスターは感謝の気持ちとして彼らに謝礼を渡しました。 神様はご自分の方法で私たちを祝福してくださるという貴重な教訓をデキ スターに与えました。 神様は什一と献金をお返しする人を祝福すると約束しておられます。祝福は必ずしも金銭的な形ではないかもしれませんが、神様がご自身の方法で私たちを祝福してくださることは確かなのです。神様からの祝福に感謝し、心から什一と統合約束献金をお返ししましょう。

感謝の気持ちを伝える

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」。マルコによる福音書 14 章 3 節 この聖句に登場する女性は、「非常に高価なナルドの香油」をイエスさまに注ぎました。彼女がなぜこのような高価な香油をイエスさまの頭に注いだのか明確な説明はありませんが、彼女がイエスさまを特別扱いしていたことは明らかです。もし彼女がイエスさまを自分の人生においてそれほど大きな価値ある存在だと考えていなければ、このような行動は取らなかったはずです。 エレン・G・ホワイトはこの出来事についてこのように書いています。「しかしキリストが自分にとってどういうお方であるかを全部理解している人はほとんどいない。もしそれが理解されているなら…どんなものも、キリストにささげるには高価すぎるとか、キリストのために耐え忍ぶには克己と犠牲が大きすぎるということはないであろう」(エレン・ホワイト『希望への光』966)。 什一と統合約束献金をお返しする今、イエスさまが私たちにとってどのようなお方であるかをよく理解し、心からの感謝をあらわしましょう。

癒された者として

マタイによる福音書 9 章 35 節に、「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」と書かれています。 イエスさまの時代に生きていたことは、どれほどの祝福だったことでしょうか!自分の病気がイエスさまによって癒されたと想像してみてください。イエスさまの癒しの力は、言葉では説明しきれないほどの祝福だったのではないでしょうか。 教会はイエスさまが地上におられた時の癒しの働きを反映し、世界中にある多くの医療施設を通し、病人を癒し続けています。これらの医療施設を訪れる人々の多くは教会を訪れたことがなく、イエスさまのことも、イエスさまが間もなく再臨されることも知りません。しかし、治療を受けると同時に、「偉大な医師」であるイエスさまについての知識も得ることができるのです。 実際、ある地域では、福音を伝える唯一の方法が医療や教育機関を通してです。このような医療施設や教育機関を運営するためには資源が必要です。什一や私たちが心からお返しする献金を通して沢山の人々がイエスさまのことを聞くことができますように祈りましょう。

イエスさまの再臨を早めるた

イエスさまによれば、世の終わりは、福音が全世界に宣べ伝えられた後に訪れます。もしも、この聖句の通り、イエスさまの再臨が、あなたの地域に福音が伝えられたかどうかにかかっているとしたら、イエスさまの再臨は近いでしょうか、それとも何十年も先になるでしょうか。 福音の届けられていない地域や人の数を人間的に考えると、主の再臨は遥か遠くに感じるかもしれません。確かにそうかもしれませんが、ローマの信徒への手紙9章28節には、「主は、御言をきびしくまたすみやかに、地上になしとげられるであろう」とある通り、神様の働きは必ず成し遂げられます。 全能なる神様は、救いの御業を果たすためのあらゆる方法をお持ちですが、私たちの献げものも、御業進展の一つの手段であること知っています。什一と献金によって、宣教師は救いの福音を神様の民に伝えるため、遠方に行くことができます。私たちの献金は、テレビ局の番組スポンサー、インターネット上のコンテンツ制作と配信、様々な言語でのトラクト出版、学校・医療施 設の建設、などを通して人々が神様の愛を学ぶ助けとなるのです。 このように、私たちのお返しする什一や統合約束献金は、イエスさまの再臨を早めるために用いられています。「主の再臨を早める」という目標を持って、イエスさまを中心に一致する心を祈り求めましょう。

新年の抱負

「この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです」。 コリントの信徒への手紙一 4 章 2 節 2025 年、最初の安息日です。世界中の多くの人々が新年の抱負を立てています。 抱負の中には、マイホームの建築、都心部への引越し、より良い生活、より高い学歴の取得、理想の男性や女性との出会いなどがあるかもしれません。 もしくは、抱負をまったく立てない人もいます。 「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(マタイ 24:14)というイエスさまのみ言葉に対し、あなたはどのような抱負を立てましたか?福音が全世界に宣べ伝えられるためには、私たち一人一人がその宣教を支える決心が必要です。国境や海を越え、遠く離れた土地にいる神様の民に宣教することができなくても、自宅にいながら什一や献金を通して宣教することができます。献金することによって、おそらくこの世では会うことのない人々に福音を伝えることができるのです。 福音を広める教会活動に積極的に参加し、什一と収入の割合に応じた献金によって、神様を礼拝し続けることを新年の抱負とし、什一と献金をお返しいたしましょう。

神様に栄光を!

「というのは、すべてのものは神から出て、神に生かされ、神の栄光のために存在しているからです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。」(ローマの信徒への手紙 11 章 36 節 リビングバイブル) パウロは真の礼拝への 3 つのステップを説明しています。最初にパウロは 「すべてのものは神から出ている」ことを伝えます。次にパウロは、「すべてのものは神に生かされている」と述べています。つまり、あなたの手元にあるものは、あなたの力、知恵、能力のおかげではなく、全てを授けてくださった神様の摂理によるのです。 そして最後は、「すべてのものは、神の栄光のために存在している」という教えです。私たちの持ち物、存在しているものすべては、神様の御手にゆだねられており、神様の御心にかなうものでなければならないと認識することです。私たちは、すべてのものが神様のものであり、神様のためであることを頭で認めることさえできますが、すべては神様の栄光のためであることを示すために、信仰をもって実践しなければなりません。パウロのように、私たちも今日、神様への感謝を言葉と行動をもって表しましょう。 「すべてのものは神から出て、神に生かされ、神の栄光のために存在しているからです。」(リビングバイブル)

このシリーズについて

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。

神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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