十字架の愛に応答する
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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成功や利益を追い求めていた私にとって、彼ら夫婦は特別な存在でした。それは、自分たちの事業を神様のために運営している夫妻だったからです。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙二 8章9節) 彼らは、自分たちが持っているすべてのお金は神様のものであり、それは神様の栄光のためだけに用いられるべきであって、自分自身の栄誉のためではないと信じていました。ある時、もっと快適に暮らせる選択肢があるにもかかわらず、再び必要以上に質素な決断をしている二人を見て、私はこう尋ねました。「どうして自分たちのためにもっとお金を使わないのですか? もっと人生のぜいたくを楽しんでもいいのではないでしょうか?」私の人生を変えた彼らの答えは、とてもはシンプルなものでした。「慈善こそ、私たちのぜいたくだよ。」什一と統合約束献金をお返しする今、イエスさまの生き方にならって、与える喜びを感謝しましょう。自分の願いは最後にし、神様を第一にすることができますように。
私たちがお返しする献金は、教会や各地域の伝道活動を支えるだけでなく、世界中で働く324の宣教師家族の働きも支えています。 統合献金制度に従って献金が配分される場合、献金総額の20%は「世界伝道基金」に充てられます。この基金は、世界各地域へ分配され、最前線で行われている伝道活動を支え、発展させるために用いられます。 世界人口の約66%が、イエス・キリストの救いの良い知らせを十分に知らずにいることをご存じでしょうか。しかし感謝なことに、近年、最も困難な地域においてさえ、多くの人々がイエスさまを救い主として受け入れています。 一人ひとりの献げ物は小さく見えるかもしれません。しかし、共に献げるとき、世界中の何百万もの人々へ福音が届けられているのです。 什一と統合約束献金をお返しする今、十字架から流れ出る愛が世界中に届けられますように祈りましょう。 「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」 (マタイによる福音書 24:14) 自分の願いは最後にし、神様を第一にすることができますように。
西暦65年のローマを想像してみてください。使徒パウロは投獄され、間近に迫った処刑を待っていました。パウロは何十年にもわたり、富む者にも貧しい者にも仕えてきました。そして彼自身も、その両方を経験しました。彼は、イエスさまを信じると公言する人々が、神様から与えられた賜物を、与え主なる神様の栄光のためではなく、自分自身を高めるために用いる姿を見てきました。また、人間の才能を誇り、この世の成功をあがめ、地上のぜいたくを求め、子どもたちにも同じ価値観を教える姿も見てきました。しかしその一方で、心が変えられる経験や、驚くべき寛大さ、そして大きな犠牲も目撃してきたのです。パウロは大きな霊的覚醒を経験しました。彼はこの世が与えるすべてのものの本質を見抜き、自分にとって最大の喜び、最高の特権、そして生きる理由そのものは、イエス・キリストを高く掲げることにあると悟ったのです。死を目前にしたパウロは、若きテモテに手紙を書きます。それは、切なる願いに満ちた、人生最後の手紙でした。彼はこう締めくくっています。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。」(テモテへの手紙二 4章7節・新共同訳)これはまた、私たちに対するパウロの祈りでもあります。人生におけるあらゆる選択の中で、彼は私たちに「信仰を守り抜きなさい」と勧めているのです。
荒野でイエスさまがサタンに誘惑された出来事を覚えていますか? 時に私たちも、同じような誘惑を受けることがあります。社会やメディアは、「もっと良い物を手に入れよう」、「もっと豊かな生活をしよう」と私たちを誘います。そのとき私たちは、子どものように「欲しい!今すぐ欲しい!」と思ってしまうことがあります。多くの人は、すでに十分な物を持っていますが、それでも「もう少しだけ欲しい」と思ってしまうのです。イエスさまはこう言われました。「あなたがたは地上に富を積んではならない。…あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」マタイによる福音書6章19、21節 つまり、宝があるところに私たちの心も向くということです。もし宝がこの世のものだけなら、心もこの世のものに向いてしまいます。
作家の C. S. ルイス は、次のように書いています。「神は旅の途中で、私たちを心地よい宿で休ませてくださる。しかし、それを本当の家だと思うようにはされない。」神様は私たちに、いろいろな祝福を与えてくださいます。お金、家、服、道具、才能などです。しかし、それらは私たちのものではなく、神様からゆだねられているものなのです。私たちがそれを自分のためだけに使うのか、それとも神様と人のために使うのかを見るためでもあります。私たちは、この地上にずっと住むのではなく、旅をしている者なのです。そして、この地上においては、神様から大切な使命が与えられています。その使命とは、人々を十字架のイエスさまに目を向けるように助けることです。讃美歌を書いたヘレン・レメルはこう書きました。「ながめよイエスを 仰げよみ顔を 世の栄え消えゆきぬ み恵みの光に」
ピーターという人が、兄から新しいスポーツカーをプレゼントしてもらいました。ある日、ピーターは町へ買い物に行き、車を路上に止めました。買い物を終えて戻ると、一人の少年がそのピカピカの車をじっと見ていました。ピーターが近づくと、少年は遠慮がちに聞きました。「すみません。この車はあなたのですか?」ピーターは答えました。「そうだよ。兄がプレゼントしてくれたんだ。」少年は驚いて言いました。「わあ、すごい!ぼくは……ぼくも……」少年が言い終わる前に、ピーターは言いました。「君も、そんな兄がいたらいいなと思ったんだろう?」すると少年は言いました。「いいえ。ぼくも、誰かに何かをプレゼントできる人になりたいと思ったんです。」 私たちは、アブラハムのように祝福を受けて、他の人を祝福する者となるように神様に招かれています(創世記 12:2)。イエスさまも、こう言われました。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)。see less
「ソーゾー(Sōzō)」というギリシャ語には、「救う・いやす」という意味があります。 それは、体・心・霊のすべてをいやす完全な救いを表す言葉です。ルカによる福音書8章には、重い病気で苦しんでいた一人の女性の話が書かれています。その女性は12年間病気で苦しみ、多くのお金を医者に使いました。しかし、病気は良くならず、かえって悪くなっていたのです。そこで彼女は、癒しを信じて、イエスさまのもとへ行きました。そして、人ごみの中を進み、イエスさまの服に触れました。すると、たちまち、体の病気はいやされたのです。そして、イエスさまは彼女に大きな祝福を与えました。「イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った(Sōzō)。安心して行きなさい』」(ルカによる福音書8章48節)。 女性は体をいやしてもらうために来ましたが、イエスさまは彼女を身体だけでなく、心も霊もすべてをいやしてくださったのです。私たちも、体・心・霊が健やかに生きたいと思いませんか?心に本当の平安を持ちたいと思いませんか?目の前の困難や試練、またお金や生活のことばかりを考えるのではなく、イエスさまが与えてくださる「完全な救いといやし」を祈り求めましょう。
こんな言葉があります。 人生の前半では、お金を得るために健康を使い、後半では、健康を取り戻すためにお金を使う。 セブンスデー・アドベンチスト教会は、神様から与えられた健康の教えという大きな祝福を受けています。健康料理教室や健康セミナーなどを通して、多くの人が健康でより良い生活ができるように助けています。神様が教えてくださった健康の原則を学ぶとき、多くの人に新しい健康と希望が見えてきます。私たちは、運動、日光、良い食事、休息、信仰、水、新鮮な空気などが大切だと教わりました。しかし、日々の働きや予定に追われる生活の中で、健康が後回しになってしまうことがあるのではないでしょうか。 使徒ヨハネは、こう祈りました。「あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネの手紙三 2)神様は、私たちの心も体も元気に生きることを望んでおられるのです。私たちが働くことができるのは、神様が健康と力を与えてくださっているからです。
今日紹介する8つのTは、感謝と寛大さをもって生きるために次のことを教えてくれます: Time(時間) 毎日、神様と交わる時を持つ。 Talents(才能)神様から与えられた能力を神様の働きのために用いる。 Treasures(宝) 富を神様の働きのために用いる。 Testimony(証し)神様からの恵みを人に伝える。 Temple(体)神様のために心と体を大切にする。 Territory(環境) 神様が与えてくださった自然や環境を大切にする。 Truth(真理) 神様の言葉を大切にする。 Tribe(家族)家族や教会の仲間を大切にする。 これらはすべて、神様が私たちにゆだねてくださったものです。パウロはこう言っています。 「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリントの信徒への手紙一 10:31)
私たちの時間やお金をどこに使っているかは、私たちが何を大切にし、何のために生きているのかを表しています。 ここで一つ、大切な質問があります。 私たちが今大切にしていることのために、イエスさまは命をささげられたでしょうか? もしかすると、私たちはイエスさまが大切にしておられないことに、時間やお金を使っているかもしれません。 イエスさまは、私たちが豊かな人生を生きるためにこの世に来てくださいました。 この世の人は「イエスさまの生き方はつまらない」と思うかもしれません。 しかし、イエスさまは、何が私たちにとって一番良いかを知っておられます。 実際に世界中の多くの人たちが、イエスさまと歩む道の素晴らしさを経験しています。 家庭、健康、人間関係、経済面、心の平安など、さまざまな面で経験しているのです。 イエスさまはこう言われました。 「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコによる福音書8:35)
シモンとジュリアンは、長年ADRA(アドラ)の働きとしてネパールで人道支援をしてきました。ネパールに大地震が襲い、約9,000人が亡くなり、22,000人以上がけがをした時にも、二人は緊急支援のためにネパールで活動しました。 ADRAは、災害が起こると、世界のさまざまな場所でいち早く支援を行う団体です。しかし、どれほど経験があっても、多くの苦しみを見ることは心に大きな負担となります。ある夜、ジュリアンは周りの苦しみを見て、自分の無力さを感じていました。そしてシモンに相談しました。するとシモンはこう言いました。「私たちはすべての人を助けることはできない。でも、すべての人にしてあげたいことを、まず一人のためにすることはできる。」 世界には、災害や飢饉、争いで苦しんでいる人がたくさんいます。私たち一人では、すべての人を助けることはできません。しかし、一人のためにできることをすることはできます。私たちが神様にお返しする什一と献金は、世界中の人々を助けるための働きを支えています。一人ひとりの力は小さく見えるかもしれません。しかし、神様を見上げ、みんなで力を合わせると、世界中で多くの人を助けることができるのです。
人間の性質は、自然に物を自分のものにしたいと思わせます。そして、長く生きれば生きるほど、ますます多くの物を所有したいと思うようになるようです。しかし、神様は物事を全く違う視点で見ておられます。 申命記8章17~18節にはこう書かれています。 あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。 むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。 神様はすべてのものの所有者であり、人間は神様から託されたものの忠実な管理者(スチュワード)となるよう招いておられるのです。 神様がすべてのものの所有者であると理解するとき、私たちの「所有」は終わり、「管理(スチュワードシップ)」が始まります。そして何より、自分の手の中ではなく、神様の手の中にあることを知った時に、信頼、平安、そして感謝の心が始まるのです。
このシリーズについて
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。
神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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