十字架の愛に応答する

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

十字架の愛に応答する

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強盗に守られて

ドリアニー牧師は、マダガスカル教区の教会員を訪ねる途中、強盗に遭遇 しました。 その運命の日、強盗たちは大きな丸太を道に置きました。その丸太を見た 牧師は、何かおかしいと思いつつバイクを降りたとたん、5 人の強盗に囲まれ、 「持ち物すべて渡せ!」、と要求されました。自分はセブンスデー・アドベン チストの牧師で、教会員を訪ねに行く途中だと説明しましたが、強盗たちは 気にも留めません。そのとき、牧師はある教会員の名前を思い出し、その人 を知っているか尋ねました。その教会員はこの場所からかなり離れたところ に住んでいたため、知らないだろうと半ば諦めていると、驚いたことに、1 人 の強盗が仲間に言いました。「こいつは逃がしてやろう。こいつが言った人は 俺の命の恩人だ。俺が誰かに刺されたとき、そいつが助けてくれたんだ」。 「助かった」、と感じた牧師は、彼らにいくつか、聖書の言葉を朗読させて 欲しいと尋ね、強盗たちは同意し、さらに彼の残りの旅の安全を保証すると 申し出てくれたのです。 その後しばらくして、ある新しい求道者が牧師に「私のことを覚えていま すか?」と尋ねて来ました。牧師が「覚えていません」と答えると、その男は「教 会員の訪問途中で 5 人の強盗に遭ったことを覚えていますか?」と尋ねました。 牧師が「その事ならよく覚えている」と答えると、男は「私がその強盗の 1 人でした」と告白し、バプテスマを受ける準備ができていることを伝えました。 牧師は、自分を傷つける筈の出遭いが、誰かを救う機会になったことを神様 に感謝しました。 私たちがお返しする什一と統合約束献金は、命の危険を冒して福音を伝え る世界中の牧師を支えています。あの強盗が聖書の言葉を聞き、立ち返った ように、多くの人々が、私たちの惜しみない献げ物によって、イエスさまの ことを聞く機会が与えられますように、お祈りいたしましょう。

私たちのために

コリントの信徒への手紙二 8 章 9 節には「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」と書かれています。この聖句はエレン・G・ホワイトの言葉を思い起こさせます。彼女は「われわれが失われている限り、イエスは天を望ましい場所とお考えにならなかった。主は非難と侮辱の生涯を送り、死の恥を受けるために天の宮廷からくだられた。天のはかりつくすことのできない宝に富んでおられたお方が、ご自分の貧しさによってわれわれが富める者となるために、貧しくなられた。われわれは、彼が歩まれた道に従うのである」(エレン・ホワイト『希望への光』889 ページ)と述べています。 なにがイエスさまに天の富を捨てさせ、地上に来させ、貧しくさせたのでしょうか。愛です。愛の特徴の一つは、他者への関心です。イエスさまは私たちの状態に心を砕かれ、天を去られたのです。 イエスさまの再臨が近いと悟りながらも、まだ成されなければならない多くのことに気づいている人たちは、救いのメッセージを暗闇の中にいる人たちに届けるために献金し、助けることが出来ますように、導きを祈り求めましょう。 福音がすべての人に届きますように、自分の収入に応じて、イエスさまに倣い、惜しみなくお献げいたしましょう。

愛の言語

愛は普遍的な言葉です。どの大陸にいようと、どの国に行こうと、愛は共通の言語です。世界には多くの言語がありますが、この共通言語は私たちを一つにしてくれます。 では、共通言語である「愛」とはなんでしょうか?聖書には、その手がかりが記されています。ヨハネの福音書 3 章 16 節にこうあります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。 神様は「イエスさまを与える」、という行為によって愛の言語を語られました。「愛」と「与えること」を切り離すことはできません。「愛」があるところには、「与えること」もあります。神様は私たちをこよなく愛して下さっているからこそ、イエスさまを与えて下さいました。神様の愛は溢れ出て、「イエスさま」という一つの贈り物として表されたのです。 神様を愛している私たちも、心を献げ、献げ物を通して具体的に、いただいた愛を表したいと思います。 什一と献げ物を通して愛の言語を語る私たちを神様が祝福してくださいますように。

信仰がなければ!

健全な夫婦関係の大切な要素の一つが信仰です。信じあえない夫婦は、健全な関係を築くことができません。遠く離れて働く夫婦が幸せでいるためにも、信仰が必要です。 人間関係において信仰が大切であるのと同様に、神様との関係においても信仰が大切です。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ 11:6)。神様との関係において信仰が必要とされる一つの領域は「お献げ すること」です。生活費が年々高騰する中、神様にお返しすべきものをお返しするためには信仰が必要です。 信仰がなければ、収入の少ない人が神様にお献げすることはありません。 しかし、信仰があればそれは可能です。信仰は神様の言葉をそのまま受け入れ、神様が約束を果たしてくださる、と信じます。マラキ書 3 章 10 節で神様はこう言われています。「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう」。 兄弟姉妹の皆さん、献金をお献げするとき、神様と、マラキ書 3 章 10 節の約束を実現する神様の力を信じましょう。什一と統合約束献金をお返しする今、私たちは信仰を行動に移し、忠実に惜しみない心を神様に向けましょう。

守ってくださる神様

「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしは なんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められ たのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございま せん」。 ダニエル書 6 章 23 節 ある牧師が、自分の地区を巡回していたときのお話です。その日、彼の妻 は忙しかったため、彼は息子も一緒に連れて行くことにしました。車もバイ クも持っていなかったので、彼は息子を段ボール箱に入れ、自転車の荷台に くくりつけて出発しました。 しばらく自転車を走らせると、牧師はライオンの群れに遭遇しました。ラ イオンは道の両側にいました。どうすればよいか分からず、自転車を降りて 考え始めました。その間、荷台に乗っていた息子は、あまりの恐怖で父親に 一言も話しかけられませんでした。 牧師は急いで段ボールの一部を破り、自分と息子の名前を書き、ライオン に襲われた人の詳細として通行人に知らせるメモを作り、そのメモを道に投 げ捨てました。 どうするべきか考えているうちに、自転車を押して進むべきだという考え が浮かびました。ライオンたちの視線が彼に集中している中、自転車を押し 始め、ライオンは興味深そうに彼を見つめていましたが、そのまま自転車を 押し続けて目的地に無事、到着できたのです。 什一や統合約束献金をお返しする今、私たちは、イエスさまのことを他の 人々に伝えるために、命を危険にさらし続けている神様の働き人を支える、 手助けをしているのです。世界中で行われている伝道が守られますように祈 りましょう。

献身した心

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」。 箴言 23 章 26 節 神様が私たちに願われていることの一つは、心を神様に委ねることです。心を神様にお委ねすれば、私たちの心は悪魔の囁きに耳を傾けずにすみます。神様の導きのもとで決断し、行動するからです。 イエスさまが私たちの内に生きておられるとき、従うことが喜びなります。しかし、心が神様に委ねられていないと、神様の御心の内にいることができません。愛をもって献げ物を神様にお献げすることもできません。エレン・G・ホワイトはこのように記しています。「心をイエスにささげたなら、われわれもまた贈り物をイエスのもとに持参するであろう」(エレン・ホワイト『希望への光』695 ページ)。 心から献金が献げられない理由は、私たちの心がイエスさまに完全に委ねられていないからです。イエスさまに心を委ねれば、お献げすることも自然な行いになります。今日、私たちがイエスさまに心をお委ねし、イエスさまが私たちの内に宿って下さるように、祈りましょう。 福音がすべての人に届くのを見届けたくはありませんか?そうでるならば、心をイエスさまにお献げいたしましょう。 什一と統合約束献金をお返しする今、祈りつつ、心をイエスさまにお献げし、イエスさまが私たちの内に生きてくださいますように、お祈りいたましょう。

イエスさまはなぜ来られないの?

ある日、教会で説教者がイエスさまの再臨について説教しました。その安息日の出席者の中にビッキーという小さい女の子がいました。イエスさまがこの世の苦しみを終わらせるためにもうすぐ来られると聞いて、とても喜ん でいました。 イエスさまの再臨の話から 2 ヵ月後、ビッキーは両親に、「なぜイエスさまはまだ来ないの?」と尋ねました。説教者が、「主の再臨が近い」と言っていたからです。両親は言いました。「そうだね、イエスさまはもうすぐ来るよ。 でも、イエスさまは、みんながイエスさまの福音を聞くのを待っているんだよ。」ビッキーは両親に尋ねました。「福音を全世界に伝えるために、私にもお手伝いできることがあるかしら。」両親が、福音を広める一つの方法が什一と献金をお返しすることだと説明すると、ビッキーはすぐに聞き返しました。 「パパとママは什一と献金をお返ししているの?」。「もちろんしているよ」と両親は答えました。 イエスさまは私たちが受けている苦しみを終わらせるために、再臨することを願っておられます。そして、多くの人がイエスさまのことを聞いて信じることを待っておられます。私たちが心からお返しする什一と献金によって、 福音を伝えるためのプログラムが支援され、まだイエスさまを知らない人々に届けられているのです。そして、私たち自身も、他の人々の忠実さの結果としてここにいるのです。 1 日も早く福音が世界中に広がりますようにお祈りましょう。

自分も献げたい!

「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。 箴言22章6節 ケジアと彼女の家族は、ザンビアの首都ルサカに住んでいました。ある日の夕礼拝、什一と献金について話しあいました。ケジアの父親は教団のスチュワードシップ部長だったため、この話題は家族にとっても、とても大切な話しでした。話し合いが進む中で、ケジアの父親は、什一を忠実にお返しし、献金を計画的にお献げするようにと、お勧めをしました。 するとケジアが言いました。「パパ、私たちみんな什一をお返しし、献金をお献げしていると言った?」父親は「そうだよ」と答えました。すると彼女は首を横に振って、「ううん、パパ。私は什一も献金もしてないわ」と言いました。両親は、家族でまとめて什一と献金をお返ししていたので、ケジアの言っている意味が分かりました。両親はそれで十分だと思っていましたが、ケジアにとっては、そうではなかったのです。 次の週、両親は子供達に什一と献金を渡し、自分で献げることを教えました。安息日の終わる夜、ケジアは父親に言いました、「パパ、今日、什一と献金をお返ししたよ!」みんな微笑み、「アーメン」と言いました。それ以来、ケジアの両親は子供たちにお金を渡し、自分で什一と献金をお返しすることを学び、お献げすることができるようにしました。 献金をお献げする今、将来、子供たちも「什一と献金をもって神様を礼拝したい」という信仰が与えられますように、お祈りいたしましょう。

おじさん、これじゃなにも買えないわ!

ある都市に、両親と幸せに暮らしている少女がいました。ある日、海外から親戚のおじさんが彼女の家を訪れました。久しぶりに会うおじさんに、家族みんなが大喜びでした。 おじさんはケジアのためにお菓子を買ってきてくれました。ケジアはそれを感謝しながら受け取り、驚いたことに、彼女はお菓子と一緒にお札も貰ったのです。彼女はお札をよく見ることなく、自分の部屋へ駆け込み、お菓子を食べることに夢中になりました。お菓子を食べ終わったケジアはおじさんから貰ったお札を確認しました。すると、喜びは悲しみに変わったのです。 ケジアは父親と楽しそうに話しているおじさんのところへ駆け寄り、「おじさん、これじゃなにも買えないわ!」と叫びました。驚いたおじさんはケジアの父親に、「このお札では何も買えない」というのは本当ですか?と尋ねました。父親は答えました。「はい、これでは何も買えません。何かを買うには、このお札が 2 枚必要なんです」。 今日の私たちはいかがでしょうか?なにも買えないようなお金を神様にお献げしてはいないでしょうか?献げる献金が僅かであっても、それが心からの献げ物であるなら、神様は喜んで受け入れてくださいます。神様は、イエスさまという最高の贈り物をくださいました。私たちも、神様に最高のものをお献げいたしましょう。 今日も、そしてこれからも、献金をお献げするとき、私たちが持っている最高のものを神様にお献げすることを忘れないようにいたしましょう。

最善なものを神様に!

「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」。ルカによる福音書 6章38節 ある日、2 人の男性が思いつくままに話をしていました。話を続けるうちに、一人が言い出しました。「ずっと小銭を貯めていたんだけど、どうしたらいいかわからないんだ」と話しました。小銭の枚数は多いものの、価値は微々た るもので、なにか意味のあるものが買える金額ではありませんでした。 彼は友人に尋ねました。「この小銭、どうすればいいと思う?」少し考えた友人は、小銭を持って行いける一番いい場所を伝えました。「一番良いのは教会だよ。教会はどんな金額でも受け取ってくれるから。」数日後、二人は再会しました。友人は自分のアドバイス通り実行されたか、知りたくて尋ねました。「小銭、教会に持っていった?」すると男性は答えました、「うん!処分できたよ!」 使い道のないものを処分する方法として、神様に献げ物をする人がいます。自分の献金の習慣を考えてみましょう。要らなくなったもの、使い道のないものを処分するために、献金してはいませんか?什一と献金をお返しする今、不要なものを処分するためにお献げするのではなく、神様が私たちに最高のものを与えてくださったように、私たちも自 分の持っている最高のものを、お献げいたしましょう。

分かち合う神様

「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」。コロサイの信徒への手紙 1章16節 金、ダイヤモンド、ウランなどの貴重な鉱物も、地球上の暮らしに大きな 影響を与える石油などの資源も、すべてイエスさまによって、イエスさまの ために創造されました。要するに、目に見えるものも見えないものも、私た ちのためではなく、イエスさまのために造られたのです。 これらの資源を利用できているのは、イエスさまが惜しみなく私たちに分 け与えてくださっているからです。その祝福を忘れないためにイエスさまは、什一を献金と共にお返しすることを求めておられます。所有者である神様に、神様のものをお返ししないのは、おかしなことではないでしょうか。祝福を受けるたびに、自分が得たすべてのものの所有権は救い主にあることを認める心を祈り求めましょう。 什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが神様の所有権と慈愛を認め て、喜びで満たされますようにお祈りいたします。

幼い時から教える

「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」。 テモテへの手紙二 3章14節、15節 パウロは、テモテにその確信から離れないようにと励まし、幼い頃から聖 書に親しんできたことを思い出させ、家庭の教育の重要性を強調しました。 テモテの霊的な基盤は、彼が家庭で受けた教育の結果であると結論づけるこ とができます。幼いころに家庭で教えられたことが、将来のより大きな責任 を果たすための備えとなったのです。 エレン・G・ホワイトもまた、教会とその全体的な健全性を形成する上で、 家庭の影響の重要性を強調し、「教会の繁栄の基礎は、家庭で築かれる。家庭を支配している影響力は、教会生活の中に持ち込まれる。だから教会の種々の義務は、まず家庭で始められなければならない」(エレン・ホワイト 『希望への光 クリスチャン生活編』750 ページ)と記しています。 什一と統合約束献金を神様にお返しする今、十字架で命を与えてくださっ たイエスさまに心を向けて、幼い子どもたちにも、什一と献金による神様へ の礼拝を、早いうちから教え始めましょう。

このシリーズについて

イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。

神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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アドベンチスト, 信仰
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