十字架の愛に応答する

他を潤す人は自分も潤う

「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」 マラキ書 3 章 10 節

リーはこの聖句の意味をよく理解していました。彼は月末まで残り 15 日の時点で、手元に 10 ドルしか残っていませんでした。彼はザンビアにある複数の教会を担当する牧師でした。ある日曜日の朝、日差しが強くなる前に日光浴をしていると、親友の母親が家に来るのが見えたので、彼は立ち上がり、彼女を迎えました。彼女は製粉機の費用を支払うためのお金を借りに来た、と言いました。リーは何と言えばいいか分かりませんでした。月の半分を残して、あと 10 ドルしかないのです。このお金を渡せば、もう何もありません。

しかし、神様が助けてくださると信じ、家に入り 10 ドルを取り出し、喜んで彼女に渡しました。彼女は喜んで帰りましたが、リーは神様がこれからどうやって助けてくださるのだろうか、と思い巡らしていました。10 分も経たないうちに、誰かがドアをノックしました。ドアを開けると、自分が住んでいる施設の責任者が立っていたため、家に招き入れました。話が終わり、訪問を終えた責任者は帰り際に 10 ドル札を取り出して牧師に手渡し、そしてお祈りして帰って行ったのです。

神様の働きを支え、互いに助け合う中で、たとえ最後のものを献げたとしても、神様がいつも私たちを支えて下さっていることを思い起こし、喜びをもってお献げする心を持ち続けましょう。

オンラインから
05/01/2025, 11:30 PM