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十字架の愛に応答する
分かち合う喜び
「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」ガラテヤ6章9節
マルメはザンビア西部の魚の豊富な町に住んでいました。彼が特に好きだったのは赤鯛でした。この魚は彼にとって最高のご馳走でした。しかし困ったことに、彼がこの大好きな魚を購入した日に限って予期せぬ来客があり、大好きな料理を分けることになるのでした。このようなことが繰り返され、彼は大変悩みました。 ある日、マルメは大きな赤鯛を買い、自分の手で丁寧に調理し楽しみにしながら食卓に向かいました。しかし、いざ食べ始めようとしたその時、ドアをノックする音が聞こたのです。彼は少しの間ためらいました。予期せぬ来客と食事を共にするべきか、それともノックは聞こえなかったことにして食事をするべきか、葛藤したのです。 結局、彼はしぶしぶ扉を開け、訪問者を迎え入れ、一緒に食事を分かち合いました。しかし、マルメは食事を訪問者と分かち合い続けるうちに、嫌だった気持ちが薄れていくのを感じ、やがて、誰かと分かち合わない限り、自分自身が食事を十分に楽しむことできなくなりました。 マルメのように、「喜びを感じるまで」分かち合うことを待つべきではありません。そのような時は永遠に訪れないかもしれないからです。むしろ、分かち合いを続けることによって、自分の中にある不快感をもたらす利己心が克服できるのです。什一と統合約束献金をお返しする今、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)という御言葉を心に留めて、神様に感謝しましょう。