十字架の愛に応答する

真の平安

1555年、ラティマーとドリーは殉教者として眠りにつきました。ドリーが処刑される前の晩、友人の一人が「今夜ずっとそばにいて慰めたい」と申し出ました。しかしドリーは丁寧にその申し出を断り、こう言いました。「神様の御心であれば、私は今夜、これまでの人生で最も静かに眠るつもりです。」どうしてドリーは、すべてを失おうとしている時に、そのような平安を持つことができたのでしょうか。なぜ裕福で健康な人々の中に強い不安を抱える人がいる一方で、貧しい人々の中に深い心の平安を持つ人がいるのでしょうか。私たちは人生経験を重ねるにつれて、平安とは「問題がないこと」ではなく、「神様が共にいてくださること」だと理解するようになります。真の平安は、外側の状況によるのではなく、心の内側にあるものなのです。完全な健康が必要なのではありません。大きな富が必要なのでもありません。理想的な 人間関係が必要なのでもありません。私たちは神様を見いだす時に、真の平安を見いだすのです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙 4章6、7節・新共同訳)

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07/30/2026, 11:30 PM