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十字架の愛に応答する
自分も献げたい!
「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。 箴言22章6節
ケジアと彼女の家族は、ザンビアの首都ルサカに住んでいました。ある日の夕礼拝、什一と献金について話しあいました。ケジアの父親は教団のスチュワードシップ部長だったため、この話題は家族にとっても、とても大切な話しでした。話し合いが進む中で、ケジアの父親は、什一を忠実にお返しし、献金を計画的にお献げするようにと、お勧めをしました。
するとケジアが言いました。「パパ、私たちみんな什一をお返しし、献金をお献げしていると言った?」父親は「そうだよ」と答えました。すると彼女は首を横に振って、「ううん、パパ。私は什一も献金もしてないわ」と言いました。両親は、家族でまとめて什一と献金をお返ししていたので、ケジアの言っている意味が分かりました。両親はそれで十分だと思っていましたが、ケジアにとっては、そうではなかったのです。
次の週、両親は子供達に什一と献金を渡し、自分で献げることを教えました。安息日の終わる夜、ケジアは父親に言いました、「パパ、今日、什一と献金をお返ししたよ!」みんな微笑み、「アーメン」と言いました。それ以来、ケジアの両親は子供たちにお金を渡し、自分で什一と献金をお返しすることを学び、お献げすることができるようにしました。
献金をお献げする今、将来、子供たちも「什一と献金をもって神様を礼拝したい」という信仰が与えられますように、お祈りいたしましょう。