十字架の愛に応答する
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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もし一晩ですべてを失ってしまったら、あなたはどうしますか? フィリピンでの壊滅的な火災によって住まいを失ったロナルドは、人生の重大な選択に直面しました。わずかに残ったものにしがみつくか、それとも神を第一にし続けるか。 彼の証しは、真の忠実な管理(スチュワードシップ)とは、どれだけ持っているかではなく、誰を信頼するかだということを力強く思い出させてくれます。
経済的不安に直面したとき、どのようにして信仰を保ち続けることができるでしょうか? ベネズエラ出身のガブリエルは、神を第一にする選択――特に十分の一献金と捧げ物を通して――が、彼の人生をどのように変えたかを分かち合っています。資源が限られていたときでさえ、忠実な管理者としての献身を守ることで、思いがけない扉が開かれ、神の備えに対する信頼がさらに強められました。
信仰、感謝、そして惜しみない心が一つになると、何が起こるのでしょうか?この感動的な証しでは、ブラジルのステラが、不確かさの中でも神を第一にすることの力を発見していく歩みをたどります。彼女の物語は、忠実な管理者として生きることを選ぶとき、神は私たちの想像を超える方法で備えてくださるという、心に響く思い出となるでしょう。
「柔らかな応答は憤りを静め 傷つける言葉は怒りをあおる。」箴言15章1節 チパテは、物腰の柔らかいビジネスマンです。ある日、仕事の用事で移動中、ガソリンスタンドに立ち寄り、タイヤの空気を補充することにしました。ところが、先に到着していた別の運転手が不適切な駐車をしていたため、チパテはその人の車の前に駐車するしかありませんでした。 店から出てきたその運転手は、チパテの駐車の仕方に腹を立て、怒鳴り始め、心ない言葉を浴びせてきましたが、チパテは冷静さを失わず、微笑みながら挨拶をし、すぐに車を移動させました。 チパテは、その運転手に罵声を浴びせられた時、神様を第一に考えることを選んでいたのです。 チパテが車を発進させると、あの運転手が車で近づいてきて質問してきました「どうして挑発されても冷静でいられたんだ?」。チパテは笑顔で答えました。「私は神様を畏れるクリスチャンでして、無理してあのような態度になった訳ではなく、これが私なんです」。チパテは続けて神様について語り、神様が彼を変えてくださったことや、人に対して親切に接するように導かれていることを話しました。 これを聞いた運転手は、自分が直面している困難な状況をチパテに打ち明けました。チパテは彼のために祈ることを約束し、「どんな困難でも神様が解決に導いてくださいますよ」と確信を持って伝えました。 日常生活で神様を第一にすることを選ぶと、すべてにおいて神様を第一にすることが自然になります。 私たちの生活で神様が一番になっていれば、什一や献金をお返しすることも心からの喜びとなるのです。今日、私たち一人一人が神様を第一に考えて生きることができますように。
ある女性実業家が、困っている人を助けることを常に心がけてきたと語りました。しかし、たとえ相手が約束していたとしても、多くの人が借りたお金を返さなかったのです。
ファビアンがザンビアで高校最終学年に在学していたとき、兄が試験料としてお金を渡してくれました――必要な額のほぼ2倍の金額でした。多くの人なら、この余分なお金を自分のものにしたくなるかもしれませんが、ファビアンは違う見方をしていました。
ジャスティンの画面に広告が表示された。「祈りが必要ですか?私たちはここにいるので、お話を聞きます。」偶然?いいえ。その特に辛い夜、それは単なる偶然を超えたもののように感じられた。ジャスティンはあらゆる手段を試した——異なる宗教、壊れた人間関係、空虚な約束、薬物、アルコール——少しでも楽になるために。
アルナルドは仕事もなく、将来の見込みもなく、希望は薄れつつあった。彼のタトゥーで覆われた腕——過去を映す地図——は、スマートフォンで祈りの広告を閲覧する際に緊張していた。驚いたことに、応答したのはAIではなく、本物の担当者だった。ミシガン州の24時間体制のオフィスから応答したのは、アドベンチスト・コネクトの祈りのチームメンバーで、その祈りと励ましの言葉は彼にとって命綱となった。
聖書の中でイエスさまの御業が描かれている章のひとつに、イザヤ書 53 章 があります。ここでは、イエスさまが苦しみのしもべとして描かれています。 私たちの主であり救い主であるお方が、つぶやくことなく、あらゆる苦難を 耐え抜かれた理由は何だったのでしょうか?『患難から栄光へ』にはこのよ うに記されています。「骨折りと犠牲のご生涯の間、神のみ子を支えたものは 何であったか。キリストはご自分の魂の労苦の結果をご覧になって、満足さ れた。キリストは、永遠をご覧になり、ご自身の屈辱を通してゆるしと永遠 のいのちを受けた人々の幸福をご覧になった。キリストの耳は、あがなわれ た者たちの歓喜の叫びを聞きとられた。主はあがなわれた人々が、モーセと 小羊の歌をうたっているのをお聞きになった」(エレン・ホワイト『希望への光』 1585 ページ)。 キリストにとって、十字架によって救われた人の喜びが、すべての苦しみ を耐え忍ぶ原動力でした。 私たちも主の模範に倣い、苦難に耐え、惜しみない施しによって救われる 人々のために、主の御業のために、献身的にお献げいたましょう。天の国に おいて、大いなる喜びが私たちを待ちわびています。私たちが心からお返し する什一と統合約束献金を通して、誰かがモーセと小羊の歌を歌っている姿 を想像してみてください。 将来を見据えてお献げいたしましょう。キリストが私たちのすべての行い の中心にあるとき、私たちは自分の献金が人々の人生に影響をもたらしてい ることを知って喜ぶことができるのです。
「神にできないことは何一つない。」ルカによる福音書 1 章 37 節 ムンディアがジンバブエのソルシ大学で神学の学士号を取っていた時、有名な伝道者であった故コーネリウス・マタンディコ博士が、大学キャンパスで「霊的強調週間」を行いました。ムンディアは妻と 2 人の幼い息子と一緒に、後方の席に座っていました。 毎晩、教会で心を惹きつけるメッセージに耳を傾けていると、彼らの前の席には絶えず仲間と談笑している青年がいました。ムンディアは、この青年が行動を改めなければ、自分を含む多くの人が説教のメッセージから恩恵を受けられないと感じました。そのため、ムンディアはこの青年のために祈りはじめました。しかし、祈れば祈るほど、その青年の態度はますます乱れるように思われました。 強調週間が終わる前に、マタンディコ博士が参加者にイエスさまを受け入れ、バプテスマを受けるよう呼びかけた時、ムンディアはあの困った青年が立ち上がって前に歩いていくのを見て驚きました。ムンディアは、この青年が本気なのだろうかと疑いました。翌日、その青年はいつもの席に座っていましたが、様子が一変していました。彼は静かに座り、真剣に耳を傾け、バプテスマを受けた多くの人々の一人となっていたのです。 私たちの学校は、多くの青年にイエスさまを紹介する重要な役割を担っています。このような学校はあらゆる場所に必要ですが、設立には多額の財政的支援が必要です。 私たちが統合約束献金を喜んでお献げし続け、多くの青年がアドベンチストの学校で学び、イエスさまを知ることができますように、お祈りいたしましょう。
イエスさまは、マタイによる福音書 22 章 36 節から 40 節で 2 つの最も大 切な戒めを教えられました。第二の戒めは、『隣人を自分のように愛しなさい。』 というものです。私たちは隣人への愛をいくつかの方法で表すことができま す。たとえば、彼らが困難な人生の試練に直面している時、そばにいること、 入院して病気と闘っているときにお見舞いに行き、困窮しているときに助け の手を差し伸べることなどです。 隣人に対する私たちの愛は、彼らの物理的な必要を満たすことだけでなく、 救いのためにも投資すべきです。什一と献金をお返しするとき、私たちは神 様と共に働いています。神様の働きに献金することにより、私たちの心は、 イエスさまが御自身の命を献げられた男性、女性、少年少女たちに引き寄せ られるのです。エレン・G・ホワイトは次のように記しています。「もし、あ なたが神を最高に愛し、あなたの隣人をあなたと同じように愛しているなら、 それは目に見える形で、伝道の働きのための自由意志の献金として表される であろう」(エレン・ホワイト『祝福に満ちた生活』62 ページ)。 真理を求めている兄弟姉妹の救いのために、惜しみなく什一や献金をお返 しすることによって、神様と隣人への愛を表しましょう。
ある牧師が、ある町で伝道講演会をすることになりました。翌日、その町を歩いていると、思いがけず何年も会っていなかった昔の同級生に出会い、2人とも久しぶりの再会を喜びました。 その友人が訪問の理由を尋ねると、牧師は 3 ヶ月後に予定されている伝道講演会に向けて準備をしていると説明しました。友人はその話を聞いて感激し、今度の講演会で最初にバプテスマを受けると約束しました。その友人の熱意に牧師は、彼ならイエスさまに人生を献げる招きを即座に受け入れるだろうと確信しました。牧師は翌日、その友人を教会に招くことも考えましたが、3 ヵ月後で良いだろうと自分をなだめて思い留まり、3 ヵ月後の再会を期待して別れました。 3 か月後、牧師は現地に到着し、バプテスマを受ける準備ができている尊い魂が既に一人いると思い、楽観的な気持ちでいました。既にバプテスマを受ける約束している人がいる状態で伝道講演会を始めるのは珍しいことでした。牧師はこれを豊かな収穫の兆しととらえ、講演会後には多くのバプテスマが与えられるに違いないと確信していました。 到着すると、講演者はちょっと離れた場所にテントが設置されているのに気づきました。葬儀のためだと思った講演者は、誰が亡くなったのか尋ねました。関係者から亡くなった方の名前を聞くと、それは、まさに伝道講演会でバプテスマを受けると約束していた牧師の友人だったのです。 講演する牧師は深く悲しみ、友人をイエスさまに招くのを遅らせてしまったことを悔やみました。 私たちも、手を差し伸べるのを遅らせてしまうことがあります。今、神様のメッセージを届けられるうちに、福音を伝える心を祈り求めましょう。什一と統合約束献金をお返しする今、私たちの友人に福音を伝える機会が与えられますように祈り求めましょう。
このシリーズについて
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。
神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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