十字架の愛に応答する
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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マタイによる福音書14章27節で、イエスさまは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(新共同訳)と弟子たちに語られました。このイエスさまの言葉を信じたペトロは、嵐の海の上を歩き始めます。しかし、途中でイエスさまから目を離し、激しい風や波に心を奪われると、恐れに支配され、沈み始めてしまいました。私たちもペトロと同じように、信頼から恐れへと心が傾いてしまうことがあります。お金や仕事、将来への備えや健康など、それらにばかり目を向けてしまうからです。もちろん、これらを責任をもって管理することは大切です。しかし、イエスさまは私たちに「思い悩むな」「恐れるな」と語っておられます。恐れが心に湧いてきたときこそ、イエスさまとその約束、永遠の希望に目を向けましょう。神様の完全な愛を知るとき、朝日が霜を溶かすように、私たちの恐れは消え去っていきます。聖書は、この世界に苦難や災害が起こることを教えています。イエスさまは、それらが起こる前から弟子たちに語られました。それは、その出来事を目にするとき、私たちの信仰が揺らぐのではなく、かえって強められるためです。さまざまな困難に直面するときも、私たちは慎重に行動し、祈りながら歩みましょう。
今日、敵対する国に対して経済制裁が行われることは珍しくありません。必要な物資やサービスの供給を止めることは、都市を包囲したり、道路や橋を破壊したりするのと同じように、相手の力を弱める効果があります。これらはすべて、戦いに必要な物資や資源を断つことを目的としています。 戦争の歴史を見ると、補給路が断たれると、前線で戦う兵士たちは十分な力を発揮できなくなります。補給路を断つことは、勝敗を左右する重要な戦略なのです。 サタンは、神様の働きを支える「補給路」に目を向けています。その補給路とは、神様に仕える私たち一人ひとりです。サタンは、私たちが使命を見失い、神様から与えられた目的から目をそらさせようと必死に働いています。なぜなら、永遠の福音というすばらしい知らせが世界中に広まることを望んでいないからです。 私たちがお返しする献金は、世界中で行われている神様の宣教を支える大切な「補給路」です。一人ひとりの献げ物は小さく見えるかもしれません。しかし、私たちが心を合わせてささげるとき、その献げ物は世界中の何百万という人々に福音を届け、人生を変える働きへと用いられます。
羊は知能の高い動物ですが、周りの羊について行く習性があります。そのため、ときには屠殺場へ向かう群れにも、そのままついて行ってしまうことがあるようです。 世界では、感染症の流行や戦争、さまざまな災害によって多くの人々が苦しんでいます。それにもかかわらず、多くの人は依然として、自分自身のことや、買い物、不動産の価格、休暇、娯楽などに心を向けています。 確かに、この世はこれからも自己中心的な価値観を追い求め続けるでしょう。しかし、私たちの心は何に向けられているでしょうか。世の流れに何となく従って歩むのでしょうか。それとも目を覚まし、もっと大切なものに心を向けて歩むのでしょうか。 神様は私たちを、愛と思いやり、そして憐れみを実践する者として召してくださいました。私たちはこの世に生きていますが、この世に属する者ではありません。また、羊の群れの中にいても、ただ流される羊ではありません。神様は、困難な時代を生きる人々を希望といやしへ導くために、私たちを用いてくださるのです。 「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」(ローマ13:11、新共同訳)
年齢を重ねることの喜びの一つは、長い年月を通して、ある「時代を超える真理」が本当に正しいことを実感できるようになることです。例えば、次のような真理です。「予防は治療に勝る」「お金では幸せは買えない」「神様の道は、いつも最善の道である」。私たちは若い頃にこうした言葉を耳にします。しかし、その多くは信じがたく、世の価値観とも違っているように思えるため、本当に正しいのか試してみたくなります。そこで時には、その真理とは反対の生き方を選んでみることもあります。しかし年月が過ぎるにつれ、それらが本当に真理であったことに気づきます。そして、 その真理に従って生きることが私たちを自由にしてくれることを学ぶのです。けれども、時代を超える真理の中には、常識とはまったく逆に思えるものもあります。例えば、「受けるよりは与える方が幸いである。」(使徒言行録20章35節)という言葉です。高価なプレゼントを期待しながら、きらびやかなクリスマスツリーの前で待っていた経験のある人なら、「受け取る方がうれしい」と思うかもしれません。しかし、この言葉を語られたのは、クリスマスの主人公であるイエス・キリストご自身でした。そして長年人生を歩んできたクリスチャンたちは口をそろえて証しします。本当に人を豊かにするのは、自分が握りしめているものではなく、喜んで分かち合うものだと。私たちを真に豊かにするのは、所有することではなく、与えることなのです。
それは、誰の目にも明白で、はっきりしていて、隠すことのできない真理でした。しかし長い間、それに気づきませんでした。キリスト教信仰の土台とも言える大切な真理です。それなのに、なぜこんなにも長い間見過ごしていたのか分かりません。もしかすると、難しく考えすぎていたのかもしれません。あるいは、あまりにもよく知っている言葉だったために、そのまま通り過ぎてしまったのかもしれません。その真理は、聖書の中でも最も有名な聖句、ヨハネによる福音書3章16節の冒頭に記されています。何百万、あるいは何十億という人々がこの聖句を暗唱してきました。五歳の子どもでさえ口にし、その意味を理解しているかもしれません。それでも、まるで見えないかのように気づいていなかったのです。ところが、ある日突然、それが見えました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネによる福音書3章16節)とても単純です。「愛は与えるのです。」神様は愛されたので、与えられました。愛は自分のためだけに蓄えません。愛は惜しみません。愛は差し出します。愛は与えるのです。これこそが、神様のご品性の中心であり、十字架が示している真理です。
神様は、その愛と救いのメッセージを世界中に伝えるために、しばしば驚くべき方法で道を開いてくださいます。そして私たちがお返しする献金は、新しく始まるさまざまな働きや宣教活動を支えるために用いられています。多くの人々がバプテスマを受けて教会に加わると、既存の教会堂では入りきれなくなることがあります。その結果、新しい教会堂を建設したり、会場を借りたり、土地や建物を購入したりする必要が生じます。しかし、そのためには当初の計画を超える資金が必要になります。また、新しく信仰を持った人々が霊的に成長するためには、教会堂だけでなく、聖書研究のための教材、信徒教育、指導者養成など、多くの支援が必要です。このような祝福に備えるために、神様は教会に「世界宣教特別機会基金」を設ける知恵を与えてくださいました。この基金は、神様が豊かな実りを与えてくださった時に、その必要に迅速に応えるために用いられます。統合献金制度によって、献金の一部が、この「世界宣教特別機会基金」に配分されています。神様が私たちの祈りに応え、新しい宣教の扉を開かれる時に備えて、教会が準備を整えておくことができるのです。
人々の献金や慈善活動の体験談に耳を傾けると、お金を稼ぐことよりも、それを賢く用いることの方が難しい場合があることに気づかされます。 賢明で喜びに満ちた献げものは、生まれつき身に備わっているものではなく、神様の導きの中で身につけていくものです。 定期的に献金をしている人の多くは、一見信頼できるように見えた働きにお献げしたものの、後になって十分な成果がなかったことを知り、残念な思いをした経験があるかもしれません。 また、効果的だと思われた方法で献げた後に、さらに良い方法や、より多くの人々に祝福を届ける仕組みがあったことを知る場合もあります。 私たちは失敗から学ぶことができます。しかしそれだけでなく、他の人々の経験や知恵からも学ぶことができます。
「生きているうちに献げなさい。そうすれば、それがどこへ行くのかを自分で確かめることができる。」 このような賢い言葉を聞いたことがあるでしょうか。 家族や神様の働きのために、遺産として財産や資産を残すことは素晴らしいことです。 しかし神様は私たちに、死後だけでなく、生きている間にも惜しみなく与えるよう招いておられます。 イエス・キリストに従う者として、私たちは神様から委ねられた財産について真剣に考える必要があります。生きている間も、また死を迎えた後も、神様はその財産をどのように用いることを望んでおられるのでしょうか。 さらに考えるべきことがあります。私たちは死ぬまで財産を握りしめているべきでしょうか。死んだ後には、その財産は私たち自身にとって何の役にも立たなくなります。 もしイエスさまがおられたなら、どのようになさるでしょうか。see more
「生きているうちに献げなさい。そうすれば、それがどこへ行くのかを自分で確かめることができる。」 このような賢い言葉を聞いたことがあるでしょうか。 家族や神様の働きのために、遺産として財産や資産を残すことは素晴らしいことです。 しかし神様は私たちに、死後だけでなく、生きている間にも惜しみなく与えるよう招いておられます。 イエス・キリストに従う者として、私たちは神様から委ねられた財産について真剣に考える必要があります。生きている間も、また死を迎えた後も、神様はその財産をどのように用いることを望んでおられるのでしょうか。 さらに考えるべきことがあります。私たちは死ぬまで財産を握りしめているべきでしょうか。死んだ後には、その財産は私たち自身にとって何の役にも立たなくなります。 もしイエスさまがおられたなら、どのようになさるでしょうか。
あらゆる悲劇には、被害を受けた人と生き残った人がいます。あなたの家は高台にあり、目の前に見える家々が洪水で流されてしまったにもかかわらず、あなたの家だけは無事だったかもしれません。あるいは、戦争が始まる直前に家族とともに別の国へ移住し、故郷に残った人々が苦しんでいることを知ったかもしれません。悲劇や大きな苦難を生き延びた人は、自分だけが無事だったことに対して、「自分だけが助かったのは申し訳ない」と感じることがあります。このような「生存者の罪悪感」は 実際に存在するものです。暴力があふれ、自然災害や人為的な災害が絶えないこの世界で、クリスチャンはどのように応答すべきでしょうか。私たちが生き残ったのには、神様の目的があります。神様の力に信頼し、その使命を果たしていきましょう。飢えている人に食べ物を与え、必要な人に衣服を与え、孤独な人を訪ね、住む場所を失った人を助け、悲しむ人を愛しましょう。そして何より、イエス・キリストを紹介するのです。
約四千年前、神様はアブラムに大きな祝福を約束されました。なぜ神様はアブラムを祝福されたのでしょうか。それは、彼が多くの人々への祝福となるためでした。アブラムは「祝福されるために祝福された」のではなく、「祝福となるために祝福された」のです。さらに約二千年前、イエスさまは弟子たちに、自ら受けた恵みを惜しみなく分かち合うよう勧められました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量をよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」ルカによる福音書6章38節イエスさまがこの言葉を語られて以来、真の弟子たちはこの教えに従って生きようとしてきました。使徒パウロは、富を持つ者たちに対して、「善を行い、良い行いに富み、物惜しみせず、喜んで分け与えるように」(テモテへの手紙一6章18節)、と勧めています。
1555年、ラティマーとドリーは殉教者として眠りにつきました。ドリーが処刑される前の晩、友人の一人が「今夜ずっとそばにいて慰めたい」と申し出ました。しかしドリーは丁寧にその申し出を断り、こう言いました。「神様の御心であれば、私は今夜、これまでの人生で最も静かに眠るつもりです。」どうしてドリーは、すべてを失おうとしている時に、そのような平安を持つことができたのでしょうか。なぜ裕福で健康な人々の中に強い不安を抱える人がいる一方で、貧しい人々の中に深い心の平安を持つ人がいるのでしょうか。私たちは人生経験を重ねるにつれて、平安とは「問題がないこと」ではなく、「神様が共にいてくださること」だと理解するようになります。真の平安は、外側の状況によるのではなく、心の内側にあるものなのです。完全な健康が必要なのではありません。大きな富が必要なのでもありません。理想的な 人間関係が必要なのでもありません。私たちは神様を見いだす時に、真の平安を見いだすのです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙 4章6、7節・新共同訳)
このシリーズについて
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。
神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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このシリーズは1月21日に亀甲山教会で行われた「祈りのセミナー」を収録したプログラムです。 4話に分けて順次公開させていただきます。 講師:ジェリー&ジャネット・ペイジ 世界総会牧師会長・夫人会長ご夫妻、祈りのミニストリー会長
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BGVとはバックグラウンドビデオの事、教会や家庭で瞑想する時、集会を始める前や終わった後、また決心カードやアンケートの記入の時間などに、BGMを流しますが、その映像付です。ご活用ください。















