十字架の愛に応答する
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。 神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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人間の性質は、自然に物を自分のものにしたいと思わせます。そして、長く生きれば生きるほど、ますます多くの物を所有したいと思うようになるようです。しかし、神様は物事を全く違う視点で見ておられます。 申命記8章17~18節にはこう書かれています。 あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。 むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。 神様はすべてのものの所有者であり、人間は神様から託されたものの忠実な管理者(スチュワード)となるよう招いておられるのです。 神様がすべてのものの所有者であると理解するとき、私たちの「所有」は終わり、「管理(スチュワードシップ)」が始まります。そして何より、自分の手の中ではなく、神様の手の中にあることを知った時に、信頼、平安、そして感謝の心が始まるのです。
神様の約束は、献げることに関するいくつかの普遍的な原則を思い出させてくれます。そしてそれらは、重力のように確かな真理です。 箴言にはこう書いてあります。 「散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。」 (箴言11:24–25) これは天のお父さまからの約束です。 イエスさまも言われました。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」(マタイ6:34)。そしてこう約束されました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」(ルカ6:38)。 父なる神様は大いなる供給者です。食べ物、衣服、住まい、仕事、力、学び、そしてさらに多くのものを与えてくださいます。
車や家、休暇などを、アップグレードしたいと思ったことはありませんか。私はよくあります ― それは普通のことですが、それは必要なのでしょうか。 最近のフォルクスワーゲンの車の広告に、このように書かれていました。「時々、私たちは自分がもう少し価値ある存在だと気づき、かつて贅沢だと思っていたものが、いつの間にか必要不可欠になっていく。より良い生活を味わってしまうと、後戻りできなくなる。」 なんと驚くべき人間の本質への洞察でしょう。私たちは、絶えず「『より多く、より良く、より素敵なもの』を求め続ける傾向があります。聖書は明確に、与えることにおいて寛大になることの大切さを教えています。 もしかしたら、今が、与えることをアップグレードする時、なのかもしれません。什一と統合約束献金をお返しする今、次の聖書の言葉を心に留めましょう。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカによる福音書6:38) 自分の願いは最後にし、神様を第一にすることができますように。
中東・北アフリカの地域には、人口6億1,200万人に対して、アドベンチスト教会員がわずか6,614人しかいないことをご存じでしょうか。すべての教会員が毎日一人に福音を伝えたとしても、全員に伝えるには254年かかってしまいます。必要性は圧倒的ですが、ホープチャンネルはメディアを通して、福音が届いていない人々に今、希望のメッセージを届けています。 ホープチャンネルは、アドベンチスト教会の世界的なメディア宣教機関で、100以上の言語で放送を行っています。中東、エチオピア、インドなど、「10/40の窓」と呼ばれる地域では、何十億もの人々が福音にほとんど、あるいは全くアクセスできません。しかし、ホープチャンネルは 対面での宣教が不可能な地域でも、テレビ、デジタル媒体、オンライン聖書講座を通してイエスさまの希望を届けているのです。 黙示録14章6節には、福音が「あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族」に伝えられると記されています。メディアを通して、ホープチャンネルはこの預言を現実のものとしているのです。統合献金計画の配分に従ってささげられる私たちの献金は、ホープチャンネルのような、宣教を目的とした働きを常に支えています。
六千年前、サタンはエバを誘惑し、「神様よりも自分を第一に」考えるように仕向けました。エバはそれに応じてしまいました。 それから四千年後、荒野においてサタンはイエスさまのもとに来て、形を変えた同じ誘惑を差し出しました。「あなた自身を守りなさい」と。しかし、イエスさまはそれに応じられませんでした。 時は過ぎ、サタンは焦りに駆られます。そしてついに、サタンはイエスさまを十字架につけ、 最後の攻撃に出ます。もし苦痛にかすむ意識の中に、ほんのわずかでも自己保存の思いを芽生えさせることができれば、勝利は自分のものになる、と。サタンは宗教指導者や兵士、そして共に十字架につけられた犯罪人のうちに働きかけ、「もし神の子なら、自分を救え」と誘惑を浴びせかけます。しかし、それでも主はそうなさいませんでした。 イエスさまは、ご自分を救いながら、同時に私たちを救うことはおできになりませんでした。 それゆえ主は、私たちの救いを選ばれたのです。 今日、神様は私たちに「自己中心」の思いを見いだし、それを十字架につけるよう招いておられます。
什一とは、利益や給料など「収入の10%」を神様の倉にお返しするという聖書の制度です。神様ご自身が聖書の中で明確に求めておられますが、キリスト教の中でも議論の的になることがあります。イエスさまご自身は、どちらも行うように教えられました。心から什一をお返しし、同時に正義と慈悲と信仰を行うことです(マタイ23:23)。また、神様はモーセを通して、「土地から取れる収穫量の十分の一は…聖なるもので主に属す」(レビ27:30,34)と語られました。神様が全ての与え主であることを心から信じ、喜んでお返ししましょう。そして、十字架で示された神様の愛を伝え、イエス・キリストの再臨を早めるために、私たちにできることを行っていきましょう。
聖書は、この古い世界がやがて「過ぎ去り」、「新しい地球」がそれに代わって来ると、明確に繰り返し教えています。そのため、私たちは、「環境」のことはあまり気にしなくても良いのでしょうか? 確かに、私たちは神様から託された時間、才能、財産の忠実なスチュワード(管理者)として生きるよう召されており、それを実践することには大きな喜びがあります。 さらに素晴らしいことは、私たちが神様のすべての被造物のスチュワード(管理者)としても任命されているということなのです。 創世記1章26節にはこうあります。 「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』」。 つまり、私たちは造られる前から、すべての被造物の管理者となるように定められていたのです。 神様が創造された美しい地球を世話することは、なんと大きな特権でしょう。 神様の被造物を含め、すべてのものの忠実な管理者として生きてまいりましょう。
アドベンチスト・ワールド・ラジオ(AWR)は、宣教師が行けない地域にも電波を通して希望のメッセージを届け、人々の人生を永遠に変えています。ラジオは、政府の制限、文化的な反対、識字の壁、地理的な隔たりを乗り越える力を持っています。しかも、ラジオは世界中で最も安価で手に入りやすい技術のひとつであり、世界人口の大多数が利用可能です。AWRは、世界中の人々に向けて、キリストにあるアドベンチストの希望を、その人々の母語で伝えています。多くのスタジオは通信聖書学校も運営しており、リスナーと直接やりとりをしながら神様の美しいメッセージを届けています。AWRの目標は、世界で話されている200以上の言語で、神様の愛の救いのメッセージをすべての人に届けることです。この目標は、皆さんの献金による支援を通して現実のものとなります。私たちが献げる献金の一部が、世界総会の世界宣教基金を通してAWRに届けられます。
収入や貯蓄について、私たちがよく自問する問いのひとつに「どれくらいあれば十分なのだろう?」というものがあります。これは非常に重要な問いです。 クリスチャンは、ある金額に達したときに「もう十分だ」と言えるのでしょうか。 退職プランナーたちは、快適な老後のために必要な貯蓄額や資産の価値について教えてくれます。しかし、キリストに心から従う者にとって、その金額は異なるべきではないでしょうか。 キリストの弟子にとって大切なのは「どれくらいあれば十分か」ではなく、「自分の『十分』を手に入れようとする努力が、主との関係の妨げになっていないか」ということです。 どうでしょうか。私たちの心と神様との間に、何かが入り込んでしまってはいないでしょうか。
イエスさまは言われました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカ6章38節) カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究者たちは、その点を実験で確かめました。 彼らは高血圧の患者に毎週20ドル札を2枚ずつ渡し、どのように使うかを指導しました。半数の患者に「自分のために使ってください」と伝えたところ、衣服、マッサージ、フェイスクリームなど、自分のために商品を購入しました。 もう半数の患者には「他の人のために使ってください」と伝えました。すると、消防士にマフィンを差し入れたり、近所の人にクッキーを配ったり、孫にプレゼントを贈ったり、慈善団体に寄付したりしました。 結果はどうだったでしょうか。 自分のために使った人たちは血圧に変化が見られませんでしたが、他の人のために使った人たちは「血圧が有意に下がった」のです。――与えることは、まさに祝福なのです。
1915年、エレン・G・ホワイトという女性がこの世を去りました。彼女は70年にわたり、健康、教育、神学、家庭、信仰生活、祈り、そしてリーダーシップについて語り、書き続けました。彼女の著作は現在175以上の言語に翻訳され、アメリカ人作家として最多です。5,000の記事と40冊の書籍を著し、10万ページを超える手書き原稿を残しました。その膨大な著作の中で、最も力強い一節のひとつと言われているのが、次の言葉です。「天父のご臨在がキリストを取り囲んでいたので、無限の愛なる神が世の祝福のためにお許しになること以外は、何一つキリストの身に降りかかってこなかった。これが、キリストの慰めの源であった。わたしたちにおいてもそうである。キリストの御霊に満たされた人は、キリストのうちに宿っている。彼を狙う打撃は、ご臨在をもって囲んでいてくださるキリストに当たる。彼に起こることはみな、キリストを経てくるものである。キリストが彼の守り手であるから、彼は自分で悪に手向かう必要がない。主の許しがなければ、何ものも彼に触れることはできない。そして許されることはみな、相共に働いて彼を愛する者たちの益となるのである。」(エレン・G・ホワイト『祝福の山』新書版111ページ)なんというすばらしい約束でしょう!イエスさまとともに歩むとき、敵が私たちに向けて放つあらゆる攻撃は、まずイエスさまに当たり、イエスさまはそれを吟味して、私たちの益のために、共に働く試練だけを私たちに通してくださいます。私たちの人生は神様の御手の中にあります――これ以上、安全な場所はありません!
弟子たちはイエスさまに尋ねたに違いありません。「主よ、本当ですか?本当に私たちを手ぶらで行かせたいのですか?金も銀も、銅貨さえもなしですか?バッグも替えの服もなしですか?えっ、サンダル一足さえもなしですか?!」イエスさまは答えられました。「そうです。ただ行きなさい。病人をいやし、病の人をきよめ、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい。」弟子たちは「何も」持たないように命じられましたが、イエスさまへの信頼によって「すべて」を持っていたのです。聖書はそれを「信仰」と呼びます。数年後、聖霊に満たされたペテロとヨハネが神殿に向かって歩いていると、足の不自由な男が施しを求めてきました。財布に一銭もなかったペテロの言葉には、神様への信頼があふれていました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒言行録3章6節)
このシリーズについて
イエス・キリストは「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (マタイによる福音書6章20節~21節)と言われました。
神様との正しい関係を持つとき、ささげることが喜びとなり、それは永遠に残る宝となります。人生を豊かなものとする秘訣がここにあります。

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