十字架の愛に応答する

与える心

マケドニアの信徒たちは、極度の貧しさの中にありながら、エルサレムの兄弟姉妹を助ける機会を懇願しました。 (コリント第二の手紙 8 章 4 節)

自分たちが貧しい中にあっても、誰かを「助けたい」、誰かのために「献げたい」という熱心さがみられたのです。

終わりの時代、人々の愛は冷え、自分中心の生き方がこの世界を覆います。

聖書も警告しています。「終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。 」 (テモテへの手紙二 3 章 1,2 節) 。

マケドニアの信徒たちの、「与える心」はどこからきたのでしょうか。

それは、日々、御言葉を通してイエスさまと交わることによって与えられました。

イエスさまの生涯と品性を知れば知るほど、私たちはますますイエスさまのようになりたいと願うようになります。そして、自分中心の生き方から、周りに与える生き方へと変えられるのです。

隣人のためになされる自己犠牲の一つひとつの行為は、その人の心に慈善の霊を強め、イエスさまと一つになります。

オンラインから
11/06/2025, 11:30 PM