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信仰の一歩

2022 年、ドリーンは夫と幼い娘と共にザンビアの観光都市リビングストンに住んでいました。リビングストンには毎年、雄大なビクトリアの滝を見るために世界中から何千人もの観光客が訪れます。ある日、ドリーンと夫は献金の額を増やす必要性を話していました。長い話し合いの末、什一に加えて、10%を献金としてお献げすることに決めました。これは思い切った決断でした。すでに生活は楽ではなく、教師である夫の収入だけで生活していたからです。それでも、彼らは信仰の一歩を踏み出すことを選びました。 ちょうどその頃、選挙で選ばれたばかりの新政府から教師の求人が出されました。ドリーンは教師の資格を持ちながらも、2 年以上失業していたため、すぐに応募書類を提出し、結果を待ちました。待つこと 1 年、応募者は全国紙で結果を確認するようにという発表がありました。驚いたことに、ドリーンは採用されていました。同じように応募したのに選ばれなかった他の教会員たちは、彼女だけが選ばれたことに驚き、特別な手続きや政府内に知人がいたのか、と尋ねました。ドリーンは、「特別なことは何もなく、政府に知り合いもいない」と答えました。 ドリーンと夫は、彼らの信仰の一歩に対して神様が豊かに報いてくださったと確信しています。信仰の一歩を踏み出し、神様を信頼しましょう。神様は誠実です。什一と統合約束献金をお返しし、神様がマラキ 3 章 10 節の約束を果たしてくださる かを確かめてみましょう。 「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」マラキ書 3章 10 節

他を潤す人は自分も潤う

「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」 マラキ書 3 章 10 節 リーはこの聖句の意味をよく理解していました。彼は月末まで残り 15 日の時点で、手元に 10 ドルしか残っていませんでした。彼はザンビアにある複数の教会を担当する牧師でした。ある日曜日の朝、日差しが強くなる前に日光浴をしていると、親友の母親が家に来るのが見えたので、彼は立ち上がり、彼女を迎えました。彼女は製粉機の費用を支払うためのお金を借りに来た、と言いました。リーは何と言えばいいか分かりませんでした。月の半分を残して、あと 10 ドルしかないのです。このお金を渡せば、もう何もありません。 しかし、神様が助けてくださると信じ、家に入り 10 ドルを取り出し、喜んで彼女に渡しました。彼女は喜んで帰りましたが、リーは神様がこれからどうやって助けてくださるのだろうか、と思い巡らしていました。10 分も経たないうちに、誰かがドアをノックしました。ドアを開けると、自分が住んでいる施設の責任者が立っていたため、家に招き入れました。話が終わり、訪問を終えた責任者は帰り際に 10 ドル札を取り出して牧師に手渡し、そしてお祈りして帰って行ったのです。 神様の働きを支え、互いに助け合う中で、たとえ最後のものを献げたとしても、神様がいつも私たちを支えて下さっていることを思い起こし、喜びをもってお献げする心を持ち続けましょう。

強盗に守られて

ドリアニー牧師は、マダガスカル教区の教会員を訪ねる途中、強盗に遭遇 しました。 その運命の日、強盗たちは大きな丸太を道に置きました。その丸太を見た 牧師は、何かおかしいと思いつつバイクを降りたとたん、5 人の強盗に囲まれ、 「持ち物すべて渡せ!」、と要求されました。自分はセブンスデー・アドベン チストの牧師で、教会員を訪ねに行く途中だと説明しましたが、強盗たちは 気にも留めません。そのとき、牧師はある教会員の名前を思い出し、その人 を知っているか尋ねました。その教会員はこの場所からかなり離れたところ に住んでいたため、知らないだろうと半ば諦めていると、驚いたことに、1 人 の強盗が仲間に言いました。「こいつは逃がしてやろう。こいつが言った人は 俺の命の恩人だ。俺が誰かに刺されたとき、そいつが助けてくれたんだ」。 「助かった」、と感じた牧師は、彼らにいくつか、聖書の言葉を朗読させて 欲しいと尋ね、強盗たちは同意し、さらに彼の残りの旅の安全を保証すると 申し出てくれたのです。 その後しばらくして、ある新しい求道者が牧師に「私のことを覚えていま すか?」と尋ねて来ました。牧師が「覚えていません」と答えると、その男は「教 会員の訪問途中で 5 人の強盗に遭ったことを覚えていますか?」と尋ねました。 牧師が「その事ならよく覚えている」と答えると、男は「私がその強盗の 1 人でした」と告白し、バプテスマを受ける準備ができていることを伝えました。 牧師は、自分を傷つける筈の出遭いが、誰かを救う機会になったことを神様 に感謝しました。 私たちがお返しする什一と統合約束献金は、命の危険を冒して福音を伝え る世界中の牧師を支えています。あの強盗が聖書の言葉を聞き、立ち返った ように、多くの人々が、私たちの惜しみない献げ物によって、イエスさまの ことを聞く機会が与えられますように、お祈りいたしましょう。

私たちのために

コリントの信徒への手紙二 8 章 9 節には「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」と書かれています。この聖句はエレン・G・ホワイトの言葉を思い起こさせます。彼女は「われわれが失われている限り、イエスは天を望ましい場所とお考えにならなかった。主は非難と侮辱の生涯を送り、死の恥を受けるために天の宮廷からくだられた。天のはかりつくすことのできない宝に富んでおられたお方が、ご自分の貧しさによってわれわれが富める者となるために、貧しくなられた。われわれは、彼が歩まれた道に従うのである」(エレン・ホワイト『希望への光』889 ページ)と述べています。 なにがイエスさまに天の富を捨てさせ、地上に来させ、貧しくさせたのでしょうか。愛です。愛の特徴の一つは、他者への関心です。イエスさまは私たちの状態に心を砕かれ、天を去られたのです。 イエスさまの再臨が近いと悟りながらも、まだ成されなければならない多くのことに気づいている人たちは、救いのメッセージを暗闇の中にいる人たちに届けるために献金し、助けることが出来ますように、導きを祈り求めましょう。 福音がすべての人に届きますように、自分の収入に応じて、イエスさまに倣い、惜しみなくお献げいたしましょう。

礼拝メッセージ197 神の裁き

説教者:山路俊晴  241130 聖書朗読:使徒行伝14章8~10節 瞑想の言葉 :ジョン・アンダーソン「空を飛ぶ天使(Angels in the Sky)」35頁 「神はこの地球のために計画を持っており、その計画は勝利します。あなたと私はその計画の最終段階にいることを確信しており、私たちの祝福された主が戻ってきて、彼が私たちのために準備された場所に私たちを連れて行くことを楽しみにしています。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌109番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌427節

礼拝メッセージ196 パスターがついてる

説教者: 山地 悟 240406 聖書朗読:詩編23編1~4節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第52章 「われわれには、どんな試練の時にも、決してわれわれを裏切られることのない助け主がある。主は、われわれが誘惑に抵抗し、悪と戦い、ついには重荷と悲しみにおしつぶされてしまうがままに、放っておかれない。いまは、イエスは人間の目からかくされているが、信仰の耳は、イエスのみ声が、『恐れるには及ばない、わたしがあなたといっしょにいる のだ』と言われるのを聞くことができる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌145番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌336番

礼拝メッセージ195 種となる生き方

説教者:花田憲彦 230610 聖書朗読 :使徒行伝14章19~23節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「患難から栄光へ」第18章 「パウロとバルナバは、伝道活動の初めから終わりまで、キリストが喜んで犠牲を払い、魂のために忠実に熱心に働かれたその模範に従おうと努めた。彼らは油断なく、熱心で、たゆまず、自分たちの好みや身の安楽などを考えずに、祈りながら、熱意とやむことのない活動とによって、真理の種子をまいた。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌108番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌380番

愛の言語

愛は普遍的な言葉です。どの大陸にいようと、どの国に行こうと、愛は共通の言語です。世界には多くの言語がありますが、この共通言語は私たちを一つにしてくれます。 では、共通言語である「愛」とはなんでしょうか?聖書には、その手がかりが記されています。ヨハネの福音書 3 章 16 節にこうあります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。 神様は「イエスさまを与える」、という行為によって愛の言語を語られました。「愛」と「与えること」を切り離すことはできません。「愛」があるところには、「与えること」もあります。神様は私たちをこよなく愛して下さっているからこそ、イエスさまを与えて下さいました。神様の愛は溢れ出て、「イエスさま」という一つの贈り物として表されたのです。 神様を愛している私たちも、心を献げ、献げ物を通して具体的に、いただいた愛を表したいと思います。 什一と献げ物を通して愛の言語を語る私たちを神様が祝福してくださいますように。

信仰がなければ!

健全な夫婦関係の大切な要素の一つが信仰です。信じあえない夫婦は、健全な関係を築くことができません。遠く離れて働く夫婦が幸せでいるためにも、信仰が必要です。 人間関係において信仰が大切であるのと同様に、神様との関係においても信仰が大切です。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ 11:6)。神様との関係において信仰が必要とされる一つの領域は「お献げ すること」です。生活費が年々高騰する中、神様にお返しすべきものをお返しするためには信仰が必要です。 信仰がなければ、収入の少ない人が神様にお献げすることはありません。 しかし、信仰があればそれは可能です。信仰は神様の言葉をそのまま受け入れ、神様が約束を果たしてくださる、と信じます。マラキ書 3 章 10 節で神様はこう言われています。「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう」。 兄弟姉妹の皆さん、献金をお献げするとき、神様と、マラキ書 3 章 10 節の約束を実現する神様の力を信じましょう。什一と統合約束献金をお返しする今、私たちは信仰を行動に移し、忠実に惜しみない心を神様に向けましょう。

守ってくださる神様

「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしは なんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められ たのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございま せん」。 ダニエル書 6 章 23 節 ある牧師が、自分の地区を巡回していたときのお話です。その日、彼の妻 は忙しかったため、彼は息子も一緒に連れて行くことにしました。車もバイ クも持っていなかったので、彼は息子を段ボール箱に入れ、自転車の荷台に くくりつけて出発しました。 しばらく自転車を走らせると、牧師はライオンの群れに遭遇しました。ラ イオンは道の両側にいました。どうすればよいか分からず、自転車を降りて 考え始めました。その間、荷台に乗っていた息子は、あまりの恐怖で父親に 一言も話しかけられませんでした。 牧師は急いで段ボールの一部を破り、自分と息子の名前を書き、ライオン に襲われた人の詳細として通行人に知らせるメモを作り、そのメモを道に投 げ捨てました。 どうするべきか考えているうちに、自転車を押して進むべきだという考え が浮かびました。ライオンたちの視線が彼に集中している中、自転車を押し 始め、ライオンは興味深そうに彼を見つめていましたが、そのまま自転車を 押し続けて目的地に無事、到着できたのです。 什一や統合約束献金をお返しする今、私たちは、イエスさまのことを他の 人々に伝えるために、命を危険にさらし続けている神様の働き人を支える、 手助けをしているのです。世界中で行われている伝道が守られますように祈 りましょう。

献身した心

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」。 箴言 23 章 26 節 神様が私たちに願われていることの一つは、心を神様に委ねることです。心を神様にお委ねすれば、私たちの心は悪魔の囁きに耳を傾けずにすみます。神様の導きのもとで決断し、行動するからです。 イエスさまが私たちの内に生きておられるとき、従うことが喜びなります。しかし、心が神様に委ねられていないと、神様の御心の内にいることができません。愛をもって献げ物を神様にお献げすることもできません。エレン・G・ホワイトはこのように記しています。「心をイエスにささげたなら、われわれもまた贈り物をイエスのもとに持参するであろう」(エレン・ホワイト『希望への光』695 ページ)。 心から献金が献げられない理由は、私たちの心がイエスさまに完全に委ねられていないからです。イエスさまに心を委ねれば、お献げすることも自然な行いになります。今日、私たちがイエスさまに心をお委ねし、イエスさまが私たちの内に宿って下さるように、祈りましょう。 福音がすべての人に届くのを見届けたくはありませんか?そうでるならば、心をイエスさまにお献げいたしましょう。 什一と統合約束献金をお返しする今、祈りつつ、心をイエスさまにお献げし、イエスさまが私たちの内に生きてくださいますように、お祈りいたましょう。

礼拝メッセージ194 聖霊によって立つ

説教者 :花田憲彦 聖書朗読 :使徒行伝 14 章8~10 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の大争闘」新書版 695 頁 「われわれは今、神のことについて、深い、生きた経験を求めなければならない。一刻もむだにはできない。われわれの周囲には重大な事件が起こっており、われわれはサタンの魔法の働いている場にいるのである。神の見張り人たちよ、眠ってはいけない。敵は近くに忍び込んでいて、あなたが気をゆるめて眠気を催すならば、いつでも飛びかかってえじきにしようと待ち構えている。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 14 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 329 節

礼拝メッセージ193 わが主、わが神

説教者 : 森田栄作 聖朗読 :使徒言行録 20 章 24 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第 84 章 「トマスは、不当にも自分の信仰の条件を規定したが、イエスは、その寛大な愛と思いやりによって、 すべての障壁を打破された。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 128 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 436 番書

礼拝メッセージ192 隠された宝

説教者 :伊藤 滋 聖書朗読 :マタイによる福音書 13 章 44~46 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「キリストの実物教訓」第9章 「良い真珠を捜している商人のたとえには、二重の意味がある。それは、 天国を求める人々に適用されるばかりでなくて、キリストがご自分の失われた嗣業である人類をさがしておられることにも当てはまる。良い真珠をさがす天からの商人、キリストは、失われた人類の中に高価な真珠を見られた。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 145 番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 252 番

イエスさまはなぜ来られないの?

ある日、教会で説教者がイエスさまの再臨について説教しました。その安息日の出席者の中にビッキーという小さい女の子がいました。イエスさまがこの世の苦しみを終わらせるためにもうすぐ来られると聞いて、とても喜ん でいました。 イエスさまの再臨の話から 2 ヵ月後、ビッキーは両親に、「なぜイエスさまはまだ来ないの?」と尋ねました。説教者が、「主の再臨が近い」と言っていたからです。両親は言いました。「そうだね、イエスさまはもうすぐ来るよ。 でも、イエスさまは、みんながイエスさまの福音を聞くのを待っているんだよ。」ビッキーは両親に尋ねました。「福音を全世界に伝えるために、私にもお手伝いできることがあるかしら。」両親が、福音を広める一つの方法が什一と献金をお返しすることだと説明すると、ビッキーはすぐに聞き返しました。 「パパとママは什一と献金をお返ししているの?」。「もちろんしているよ」と両親は答えました。 イエスさまは私たちが受けている苦しみを終わらせるために、再臨することを願っておられます。そして、多くの人がイエスさまのことを聞いて信じることを待っておられます。私たちが心からお返しする什一と献金によって、 福音を伝えるためのプログラムが支援され、まだイエスさまを知らない人々に届けられているのです。そして、私たち自身も、他の人々の忠実さの結果としてここにいるのです。 1 日も早く福音が世界中に広がりますようにお祈りましょう。

自分も献げたい!

「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。 箴言22章6節 ケジアと彼女の家族は、ザンビアの首都ルサカに住んでいました。ある日の夕礼拝、什一と献金について話しあいました。ケジアの父親は教団のスチュワードシップ部長だったため、この話題は家族にとっても、とても大切な話しでした。話し合いが進む中で、ケジアの父親は、什一を忠実にお返しし、献金を計画的にお献げするようにと、お勧めをしました。 するとケジアが言いました。「パパ、私たちみんな什一をお返しし、献金をお献げしていると言った?」父親は「そうだよ」と答えました。すると彼女は首を横に振って、「ううん、パパ。私は什一も献金もしてないわ」と言いました。両親は、家族でまとめて什一と献金をお返ししていたので、ケジアの言っている意味が分かりました。両親はそれで十分だと思っていましたが、ケジアにとっては、そうではなかったのです。 次の週、両親は子供達に什一と献金を渡し、自分で献げることを教えました。安息日の終わる夜、ケジアは父親に言いました、「パパ、今日、什一と献金をお返ししたよ!」みんな微笑み、「アーメン」と言いました。それ以来、ケジアの両親は子供たちにお金を渡し、自分で什一と献金をお返しすることを学び、お献げすることができるようにしました。 献金をお献げする今、将来、子供たちも「什一と献金をもって神様を礼拝したい」という信仰が与えられますように、お祈りいたしましょう。

おじさん、これじゃなにも買えないわ!

ある都市に、両親と幸せに暮らしている少女がいました。ある日、海外から親戚のおじさんが彼女の家を訪れました。久しぶりに会うおじさんに、家族みんなが大喜びでした。 おじさんはケジアのためにお菓子を買ってきてくれました。ケジアはそれを感謝しながら受け取り、驚いたことに、彼女はお菓子と一緒にお札も貰ったのです。彼女はお札をよく見ることなく、自分の部屋へ駆け込み、お菓子を食べることに夢中になりました。お菓子を食べ終わったケジアはおじさんから貰ったお札を確認しました。すると、喜びは悲しみに変わったのです。 ケジアは父親と楽しそうに話しているおじさんのところへ駆け寄り、「おじさん、これじゃなにも買えないわ!」と叫びました。驚いたおじさんはケジアの父親に、「このお札では何も買えない」というのは本当ですか?と尋ねました。父親は答えました。「はい、これでは何も買えません。何かを買うには、このお札が 2 枚必要なんです」。 今日の私たちはいかがでしょうか?なにも買えないようなお金を神様にお献げしてはいないでしょうか?献げる献金が僅かであっても、それが心からの献げ物であるなら、神様は喜んで受け入れてくださいます。神様は、イエスさまという最高の贈り物をくださいました。私たちも、神様に最高のものをお献げいたしましょう。 今日も、そしてこれからも、献金をお献げするとき、私たちが持っている最高のものを神様にお献げすることを忘れないようにいたしましょう。