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説教者:里内勝己 240330 聖書朗読:マタイによる福音書12章8節 瞑想の言葉:E・G・ホワイト「教会への証」第6 巻356頁 「私たちは安息日のふちを大切に守らなければならない。一瞬一瞬が聖なる時間であることを忘れてはならない。可能な限り、雇用主は労働者に金曜日の正午から安息日が始まるまでの時間を与えるべきである。彼らが主の日を心静かに迎えられるように、準備の時間を与えなさい。そのようにすれば、一時的なことであっても損をすることはない。第 4 の戒めの冒頭で、主はこう言われた。『覚えよ』。主は、多くの心配事や当惑の中で、人が律法の完全な要件を満たすことから自分を免除する誘惑に駆られたり、その神聖な重要性を忘れたりすることを知っておられた。だから主は言われた:『安息日を覚えてこれを聖とせよ』。」 始めの讃美歌 :日基讃美歌276番「ひかりとやみとの」 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌18番
説教者:花田憲彦 240203 聖書朗読:使徒行伝18章24~26節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「患難から栄光へ」第26章 「今日、キリストのために働いている人々は、使徒の時代に福音を宣伝した人々が表したように、優れた力を表すことができる。神は、パウロやアポロに、シラスやテモテに、また、ペテロやヤコブやヨハネに力をお与えになったように、今日も、神のしもべたちに力を与えようと待ち構えておられる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌109番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌208番
イエスさまは言われました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカ6章38節) カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究者たちは、その点を実験で確かめました。 彼らは高血圧の患者に毎週20ドル札を2枚ずつ渡し、どのように使うかを指導しました。半数の患者に「自分のために使ってください」と伝えたところ、衣服、マッサージ、フェイスクリームなど、自分のために商品を購入しました。 もう半数の患者には「他の人のために使ってください」と伝えました。すると、消防士にマフィンを差し入れたり、近所の人にクッキーを配ったり、孫にプレゼントを贈ったり、慈善団体に寄付したりしました。 結果はどうだったでしょうか。 自分のために使った人たちは血圧に変化が見られませんでしたが、他の人のために使った人たちは「血圧が有意に下がった」のです。――与えることは、まさに祝福なのです。
1915年、エレン・G・ホワイトという女性がこの世を去りました。彼女は70年にわたり、健康、教育、神学、家庭、信仰生活、祈り、そしてリーダーシップについて語り、書き続けました。彼女の著作は現在175以上の言語に翻訳され、アメリカ人作家として最多です。5,000の記事と40冊の書籍を著し、10万ページを超える手書き原稿を残しました。その膨大な著作の中で、最も力強い一節のひとつと言われているのが、次の言葉です。「天父のご臨在がキリストを取り囲んでいたので、無限の愛なる神が世の祝福のためにお許しになること以外は、何一つキリストの身に降りかかってこなかった。これが、キリストの慰めの源であった。わたしたちにおいてもそうである。キリストの御霊に満たされた人は、キリストのうちに宿っている。彼を狙う打撃は、ご臨在をもって囲んでいてくださるキリストに当たる。彼に起こることはみな、キリストを経てくるものである。キリストが彼の守り手であるから、彼は自分で悪に手向かう必要がない。主の許しがなければ、何ものも彼に触れることはできない。そして許されることはみな、相共に働いて彼を愛する者たちの益となるのである。」(エレン・G・ホワイト『祝福の山』新書版111ページ)なんというすばらしい約束でしょう!イエスさまとともに歩むとき、敵が私たちに向けて放つあらゆる攻撃は、まずイエスさまに当たり、イエスさまはそれを吟味して、私たちの益のために、共に働く試練だけを私たちに通してくださいます。私たちの人生は神様の御手の中にあります――これ以上、安全な場所はありません!
2026年1期
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弟子たちはイエスさまに尋ねたに違いありません。「主よ、本当ですか?本当に私たちを手ぶらで行かせたいのですか?金も銀も、銅貨さえもなしですか?バッグも替えの服もなしですか?えっ、サンダル一足さえもなしですか?!」イエスさまは答えられました。「そうです。ただ行きなさい。病人をいやし、病の人をきよめ、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい。」弟子たちは「何も」持たないように命じられましたが、イエスさまへの信頼によって「すべて」を持っていたのです。聖書はそれを「信仰」と呼びます。数年後、聖霊に満たされたペテロとヨハネが神殿に向かって歩いていると、足の不自由な男が施しを求めてきました。財布に一銭もなかったペテロの言葉には、神様への信頼があふれていました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒言行録3章6節)
今年1月に開催された、セブンスデー・アドベンチスト教団第39回定時総会のご報告です。 前回はコロナ禍でのオンライン開催だったため、10年ぶりの対面で開催となりました。また今回は亀甲山教会をメイン会場として、2021年に新築された教団本部事務所や研修センターなど、横浜本部の施設で行われました。 本動画には、総会で選出された新役員の一言メッセージなども収録されています。 教団の活動をご紹介するアドベンチスト・ミッションの日本オリジナルの号外です。どうぞ、ご覧ください。
聖書には、一見すると場違いに思える箇所があります。例えば、イエスさまが「体のともし火は目である」と語られたのは、「地上に富を積んではならない」「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6:19–24)といった、物質主義を戒める節のただ中でした。なぜこのような文脈で、目について語られたのでしょうか?私たちの地上の宝と、イエスさまの「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」という言葉は、私たちの「目」とどのような関係があるのでしょうか。イエスさまは、右目で天の宝を見つめながら、左目で地上の宝を追い求めるような愚かさを警告しておられるのではないでしょうか。そのような状態では、私たちは「焦点の定まらないクリスチャン」となり、永遠に価値ある事柄に対して、はっきりと焦点を合わせることができなくなってしまいます。両目をイエスさまの十字架に向け、はっきりと見据え、焦点の合ったクリスチャンでありましょう。
251025 説教者 :柳 鍾鉉 聖書朗読 :ヨハネの黙示録 12 章1~4節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の大争闘」第 39 章 「われわれの前にある苦悩と苦悶の時は、疲労と遅延と飢えに耐えることのできる信仰、すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求する。その時に備えるために、すべての者に恩恵期間が与えられている。 ヤコブは、断固として屈しなかったために勝利した。彼の勝利は、しきりに願い求める祈りに力があるということの実証である。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 111 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 345 節
250201 説教者 : 山地 悟 聖書朗読 :出エジプト記 29 章 42,43 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第 16 章 「キリストだけが魂の宮をきよめることがおできになる。しかし彼ははいることを強制なさらない。主は昔の宮にお入りになったようには心にお入りにならないで、『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはい(る)』と 言われる(黙示録3:20)。主は 1 日だけのためにお入りになるのではない。『わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。……彼らはわたしの民となるであろう』と言われる(II コリント6:16)。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 105 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 332 番
240120 説教者 :花田憲彦 聖書朗読 :使徒行伝 18 章 9,10 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「患難から栄光へ」第 24 章 「コリントにおける福音の働き人たちは、彼らが働きかけている魂の上に恐ろしい危険が迫っていることを実感した。そして、自分たちの上に負わされている責任を感じつつイエスのうちにある真理を明らかにした。 彼らの使命は明瞭、率直、また決定的で、それはいのちからいのちに至らせる香りか、それとも死から死に至らせる香りであった。そして、彼らの言葉にばかりでなく、また日々の生活の中に福音があらわされた。天使たちは彼らと協力し、神の恵みと力は多くの者の悔い改めの中に示された。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 237 番
今日、次の知恵の言葉を思い起こしましょう。「物を愛し、人を利用する時代にあって、クリスチャンは人を愛し、物を用いるように召されています」。イエスさまは、まさにその模範を示されました。泥を用いて盲人を愛されました。水と壺を用いて新婚夫婦を愛されました。パンと魚を用いて群衆を愛されました。衣の裾を用いて長血の女性を愛されました。そして最後には、十字架と三本の釘を用いて、愛の架け橋を築かれたのです。今日、イエスさまは私たちを用いて、人を愛されます。敵さえも、不当に私たちを利用した人であっても、愛されるのです。神様の忠実な管理者として、私たちも自分の持ち物を用いて人を愛するようにと招かれています。時間も、才能も、富も、そして証しも――すべてを通して人々をイエスさまのもとへ導くのです。神様の畑で「共に働く者」とされるのは、なんという特権でしょうか。
皆さんは、三つの「一割」の法則をご存じでしょうか。これは古くから伝わる知恵に基づいた財政管理の方法で、今日も世界中の多くの人々によって実践されています。その仕組みとは、神様が私たちを祝福し、収入を与えてくださるときに、最初に支出する三つの「一割」のことです。一つ目は、神様への一割である 什一です。什一は、忠実さ、信仰、そして感謝のあかしです。すべてのものは、神様から与えられていることを認め、最初の一割を、既に神様のものとして、喜んでお返しします。二つ目は、献げものとしての一割です。これは献金やその他の献げものです。神様の恵みに感謝し、『受けるよりは与える方が幸いである』と聖書が教えるように、隣人への愛を示すことです。そして、三つ目は自分と家族への一割、貯蓄です。(自分と家族への一割)これは自分と家族への贈り物です。将来の必要に備え、困難な時に家族を守るため、聖書も、貯蓄することの重要性を教えています。真の自由は、神様に什一をお返しし、人に施し、賢く蓄え、慎重に用いることによって与えられるのです。聖書は、神様を第一にする者は、その忠実さのゆえに必ず祝福されると教えています。
ある物語があります。ラリーとビルという二人の男性が仕事を失い、どこにも職が見つかりませんでした。そんなとき、ビルが「ライオンを捕まえれば1頭につき50万円支払う」という動物園の広告を見つけました。危険な仕事ではありましたが、二人は野生のライオンを捕まえることに挑戦することにしました。彼らは、ライオンの餌と手作りの檻を持って、ライオンの生息地へと向かいました。しかし、岩場をよじ登っていたとき、足元が崩れ、急斜面の穴に滑り落ちてしまったのです。そして、そこには空腹のライオンたちが待ち構えていたのです。ラリーは状況をすばやく把握し、こう叫びました。「ビル、俺たち金持ちだ!金持ちになったぞ!」――騙されてはいけません。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(ペトロの手紙一5章5–8節) 聖書は、サタンが欺きの達人である、と教えています。彼は毒を美味しく感じさせ、健康的な食べ物を不味く感じさせることさえできます。真理を誤りのように見せ、誤りを真理のように見せるのです。その結果、世界中が混乱しています。
イエスさまは、蓄える方だったでしょうか。それとも、使う方だったでしょうか。イエスさまは、寛大さの象徴であり、惜しみなく与える大いなる与え主でしたが、すべての資源に無限にアクセスできたにもかかわらず、聖書はイエスさまが浪費家であった場面を一度も示していません。イエスさまが、五千人以上の人々に食べ物を与えた時でさえ、残ったパンや魚を、パンくず一つに至るまで集めるよう命じられたのです。なぜでしょうか。「人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパン屑を集めなさい』と言われた。」(ヨハネ6:12)お気づきになりましたか。イエスさまは、少しも無駄にならないように、パン屑までも大切に集めたのです。イエスさまのように、与えられた祝福を大切に用いることができますように祈りましょう。
新しい1年が始まりました。今年も神様が全ての必要を満たしてくださることを信じて歩んでまいりましょう。そして、私たちが心から神様へお返しする什一や献金を通して、福音が世界中に広がりますように祈りましょう。献げ物の中心は、神様を、与え主、支え主として見上げ続けるという姿勢であり、単に教会の働きそのものに焦点を当てることではありません。私たちがおささげするのは、第一に神様の絶え間ない祝福への感謝からです。神様が祝福してくださるたびに、私たちは神様にお返しするのです。私たちの忠実なささげ物を通して、神様の働きは全世界へと広がっています。新しい年を迎える今こそ、神様への献身を新たにし、十字架で示された永遠の愛に心から応えましょう。
説教者:稲田 豊 聖書朗読:マタイによる福音書 10 章 16~23 節 瞑想の言葉:E・G・ホワイト「キリストの実物教訓」第 15 章 「悪を行って絶望におちいっている魂も、勇気を出さなければならない。 多分、神は罪を許して、神の前に出ることを許してくださるであろうなどと考えてはならない。すでに神は、第 1 歩をふみ出されたのである。 あなたが神にそむいた時に、神はあなたを求めてさがしに出られたのである。羊飼いのようなやさしい心で神は、99 匹をあとに残して、さ迷い出た 1 匹をさがすために荒野へ出ていかれた。彼は、傷ついて、死ぬばかりになっている魂を愛の腕にいだいて、喜び勇んで安全なおりにかかえてこられるのである。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌112番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌339節
稲田 豊総理による新春メッセージです(9分) ※1月中のみの公開となります。
「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」。黙示録21章2節 一人の牧師が新しい地での生活をとても美しく描いて説教したため、会衆の一人が大きな声で叫びました。「先生、新しい地、エルサレムに行くのが待ちきれません!」牧師が引用した聖句の一部を紹介いたします: •「都に住む者はだれも病を訴えることはない。都に住む民は罪を赦される」。イザヤ書 33:24 •「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」。黙示録21:4 この世で私たちは、悲しみ、苦しみ、死を経験します。しかし、私たちが福音をすべての場所に伝える使命を終え、新しい地に迎えられるとき、これらの苦しみはすべてなくなります。あなたはそこに行くのが待ちきれませんか?私たちと新しい地との間にある唯一のものは、「御業を完成させること」だけです。「新しい地」への道を開いてくださったイエス・キリストの十字架に心を向けましょう。 2025年を導いてくださった神様に感謝をもって応えられますように。そして、「新しい地」が待っているという希望を心に抱きつつ2026年を迎えることができますように。































