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礼拝メッセージ212 神、傍らに立つ

説教者:高﨑憲文 250315 聖書朗読:使徒行伝10章44~48節 瞑想の言葉:E・G・ホワイト「患難から栄光へ」第14章 「この説明を聞くと兄弟たちはだまってしまった。ペテロのとった方法は、神のご計画をそのまま実行したものであり、自分たちの偏見や排他的な気持ちは福音の精神に全く反するものであることをさとって、彼らは神をさんびし、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。こうして、争いもなく偏見は打ち破られ、長年の習慣によって築かれていた排他的な気持ちは捨てられ、異邦人にも福音を宣べ伝える道が開かれた。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌120番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌272節

礼拝メッセージ211 キリストによって考える

説教者: 山地 悟  241026 聖書朗読:ヨハネの手紙一3章16節 瞑想の言葉 :「使徒たちの幻を追って」30頁 「使徒たちは、新しい信者や教会に複雑な神学を教えるのではなく、『キリストによっ て』神学的に考えるよう、すなわちイエスの死と復活、聖霊の油注ぎと臨在という枠組みの中で考えるように教えたのです。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌30番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌212番

礼拝メッセージ210 聖霊か 悪霊か

説教者:花田憲彦 2301104 聖書朗読:使徒行伝16章16~18節 瞑想の言葉:E・G・ホワイト「各時代の大争闘」第34章 「心霊術の教えに反対する者は、ただ人間だけではなくサタンと悪天使たちを攻撃しているのである。彼らは、もろもろの支配と、権威と、天 上にいる悪の霊との戦いに入ったのである。サタンは、天の使いの力によって撃退されないかぎり、一歩も退却しようとはしない。神の民は、 救い主がなさったように、「・・・・と書いてある」という言葉をもってサタンに対抗することができる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌112番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌306番

やってみます

「わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」創世記28章22節 ダカは農家でしたが、家族を養うための作物を作るのに苦労していました。幸せとは程遠い生活を送っていたダカは、収穫量の増やし方が全く分からず途方に暮れていました。ある日、ダカは友人に誘われて教会に行き、「教えに従う者に祝福を与えてくださる神様」について学びました。最初、ダカは半信半疑で、試してみる価値があるとは思えませんでした。しかし、収穫量の少なさに日々悩まされる中で、「試してみよう」と思いました。彼は静かにひざまずき、精一杯祈りました。祈りの中で、「説教者が言ったように、本当に神様が祝福してくださるなら、什一をお返しいたします」と神様に伝えたのです。ダカは例年と同じように畑を丁寧に耕し、種を植えました。収穫の時が来て、ダカは収穫量が前年の5倍を超えたことに驚きました。ダカは神様が与えてくださった祝福に感謝し、「什一をお返しする」という約束を守りました。什一と統合約束献金をお返しする今、祝福を与えてくださる神様を心から信頼しましょう。

守ってくださる神様

ある日、デクスターが店で支払いをしようとしたとき、財布がポケットにないことに気づきました。彼が歩いてきた道をたどって自分の車に戻ると、2人の男が道端に座っていました。一人は品のある紳士風で、もう一人は「強面」の風貌でした。車の近くに行くと、その二人が激しい口論をしていました。怒っていたのは「強面」の方で、彼は紳士に向かって、「財布を拾ったのに、落とした人を追いかけて返さなかったのはどうしてだ?」と強い口調で問い詰めていました。紳士が「どうしてお前が気にするんだ?」と言い返すと、強面の男は、「彼は俺の兄弟だ。俺がここにいるのに、兄弟の財布を取るなんて許さん」と言いました。その言葉を聞いたデクスターは勇気を出して、「彼の言う通りだ。私の財布を返してくれ」と言いました。紳士は渋々、財布を返してくれて、中身も無事だったのです。デクスターは店に戻り、品物の支払いを済ませた後、「強面の兄弟」に謝礼を渡しました。詩編の著者はこう問いかけています。「主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか」(詩編116:12)。什一と献金をお返しする時、神様が独り子イエス・キリストを与えてくださったことを思い返しましょう。神様に愛の応答ができますように。

そのとおりにしてください

経済的に厳しく、必要が多いときでも、あなたは神さまを第一にすることができるでしょうか。 ケニアのマーガレットさんは、持っているものがごくわずかであっても、十分の一と献げ物をささげることで、恐れではなく信仰を選びました。彼女の体験は、忠実な管理とは豊かさの有無ではなく、信頼と従順、そしてその後に続く祝福にあることを示しています。

失望することがない

「主を信じる者は、だれも失望することがない」ローマ人への手紙10章11節 少年フレディのお話です。フレディが小学校3年生のとき、みんなは良い成績なのに、自分だけいつも点数が悪く、学校を辞めようと考えたこともありました。そんなとき、彼の心にひとつの考えが浮かびました。それは、「自分の悩みを神様に打ち明けよう」というものでした。その考えが浮かんだフレディは、ひざまずいて祈りました。「神様、僕が勉強でどれほど苦労しているか、あなたはご存じです。友達はみんな良い点数なのに、僕だけ追試で、いつも笑われています。どうか僕も高得点が取れるように助けてください。僕は神様を心から信じています。神様を知らない人たちを助けることができるなら、神様を信じている僕を助けてくださらないわけがありません。どうか神様、これからは良い点数を取らせてください。アーメン。」神様とお話しした後、フレディは決意を新たにして勉強に取り組みました。数週間後、先生から「この前のテストの結果はフレディが一番でした」と発表され、大変驚きました。この忘れられない日以来、フレディはクラスで一位をキープし続けており、自分を成績優秀者に変えてくださった神様に心から感謝しています。「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマ10:11)と聖書に書かれています。什一と統合約束献金をお返しする今、神様の祝福に感謝し、すべての必要を満たしてくださることを信じてお献げいたしましょう。

分かち合う喜び

「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」ガラテヤ6章9節 マルメはザンビア西部の魚の豊富な町に住んでいました。彼が特に好きだったのは赤鯛でした。この魚は彼にとって最高のご馳走でした。しかし困ったことに、彼がこの大好きな魚を購入した日に限って予期せぬ来客があり、大好きな料理を分けることになるのでした。このようなことが繰り返され、彼は大変悩みました。 ある日、マルメは大きな赤鯛を買い、自分の手で丁寧に調理し楽しみにしながら食卓に向かいました。しかし、いざ食べ始めようとしたその時、ドアをノックする音が聞こたのです。彼は少しの間ためらいました。予期せぬ来客と食事を共にするべきか、それともノックは聞こえなかったことにして食事をするべきか、葛藤したのです。 結局、彼はしぶしぶ扉を開け、訪問者を迎え入れ、一緒に食事を分かち合いました。しかし、マルメは食事を訪問者と分かち合い続けるうちに、嫌だった気持ちが薄れていくのを感じ、やがて、誰かと分かち合わない限り、自分自身が食事を十分に楽しむことできなくなりました。 マルメのように、「喜びを感じるまで」分かち合うことを待つべきではありません。そのような時は永遠に訪れないかもしれないからです。むしろ、分かち合いを続けることによって、自分の中にある不快感をもたらす利己心が克服できるのです。什一と統合約束献金をお返しする今、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)という御言葉を心に留めて、神様に感謝しましょう。

礼拝メッセージ209 落ち着く時

説教者 :島田隼人 250503 聖書朗読 :イザヤ書 30 章 15 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「祝福の山」奉仕の真実の動機 「もし日ごとに主を求めて悔い改め、みずから進んで神にある自由と喜びの経験を味わい、神の恵み深い招きに喜んで応じ、キリストの服従と奉仕のくびきをになうなら、つぶやきはすべてなくなり、困難はすべて取り除かれ、現在直面している複雑な問題もことごとく解決される。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 272 節

礼拝メッセージ208 主に祈ろう

説教者 : 齋藤愛輝 240907 聖書朗読 :ヤコブの手紙5章 13 節 瞑想の言葉 :ヤコブの手紙5章 13 節 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 11 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 353 番

礼拝メッセージ207 海を開いた小さな祈り

説教者 :花田憲彦 230909 聖書朗読 :ヨハネによる福音書 15 章7節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」中巻 90,91 頁 「神は、しいたげられている者の叫びを聞くために、み座から身をかがめておられる。真心からの祈りの1つ1つに対して、『わたしはここにいる』と、神はお答えになる。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 13 番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 353 番

天が歓声を上げた日

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 先週は、「神様のご命令に従うことが、神様を畏れる者の特徴である」と考えました。今日はもう一つの教訓について考えます。アブラハムは神様に自分の独り子をお献げすることを拒みませんでした。この例によって、「神様を畏れる者は神様に何でも惜しみなくお献げする」、と学び取ることができます。 アブラハムが息子を献げるという試練を見事に乗り越えた信仰が、神様と天の住人に見過ごされることはありませんでした。エレン・ホワイトはこの場面を次のように美しく描写しています。「全天は驚嘆と賞賛をもって、アブラハムの断固とした服従を見守った。全天は彼の忠誠に賛嘆の声をあげた」(『希望への光』76ページ)。 アブラハムがその従順を身をもって表したとき、天は歓喜に包まれました。現代の言葉で言うならば、「天は総立ちで、父アブラハムに拍手喝采をした」、と言えるでしょう。「アブラハムがイサクを献げた!」という歓喜の瞬間でした。 サタンは、私たちが神様に従い、忠実に惜しみなく献げることを思い留まらせようとするかもしれません。しかし、私たちが神様の声に耳を傾けるか、それともサタンの声に耳を傾けるのか、神様と天の全てが私たちの選択を見守っていることを忘れてはなりません。 什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが従順と最善を尽くして神様にお返しすることによって、「行動に移す信仰」が全天に喜びをもたらすこととなりますように。

神様の声に従う信仰

「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節 アブラハムは、誰もが経験したくない試練に直面しました。彼に求められたことは、自分自身と妻サラの心を引き裂くような行為でした。それにもかかわらず、アブラハムは神様の命令に従おうとしました。この聖句には重要な教訓が二つあります。今回はその1つ目に焦点を当て、もう1つは次回考えます。アブラハムは行動によって神様を畏れる心を示しました。神様が、息子を生贄として献げなさいと命じたとき、アブラハムはそれに従いました。彼は言い訳をせず、また息子が「たった一人の子」であり、「約束の子」であることを神様に思い出させるようなこともしませんでした。神様の言われたことに従うことは、神様を畏れる人の特徴の一つです。神様の定めはマラキ書3章10節で「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ」と記されています。私たちもアブラハムのように、「十分の一の献げ物をすべて倉に」納めることによって神様を恐れる者であることを表したいと思います。什一と統合約束献金を倉に納める今、神様を畏れる者であることを表明いたしましょう。そして、アブラハムが神様の御命令に従い、「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった」という御言葉が、私たちへの御言葉ともなりますように。

最高の贈り物への応答

与えることは、信仰の行為であり、強力なつながりを生み出します。何よりも、心と心を結びつけるのです。 神様が、ご自身のひとり子をお与えになったとき、天と地を結ぶ、最も偉大な「つながり」が生まれました。イエスさまという贈り物を通して、神様は天と地を結びつけ、ご自身との愛の関係へと私たちを導いておられるのです。 神様との絆はどのようにして、強まるのでしょうか。それは、十字架で示された神様の愛を知ることによって強まります。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節) 神様が与えてくださった独り子であるイエスさまを知ることによって、私たちの心は神様と結ばれ、神様に全てをお返しする存在へと造りかえられるのです。 什一と統合約束献金をお返しする今、神様からの最大の贈り物であるイエスさまの愛に応答することができますように祈りましょう。 自分の願いは最後にし、神様を第一にすることができますように。

どんな状況でも神様を第一

「柔らかな応答は憤りを静め 傷つける言葉は怒りをあおる。」箴言15章1節 パテノは、物腰の柔らかいビジネスマンです。ある日、仕事の用事で移動中、ガソリンスタンドに立ち寄り、タイヤの空気を補充することにしました。ところが、先に到着していた別の運転手が不適切な駐車をしていたため、パテノはその人の車の前に駐車するしかありませんでした。 店から出てきたその運転手は、パテノの駐車の仕方に腹を立て、怒鳴り始め、心ない言葉を浴びせてきましたが、パテノは冷静さを失わず、微笑みながら挨拶をし、すぐに車を移動させました。 パテノは、その運転手に罵声を浴びせられた時、神様を第一に考えることを選んでいたのです。 パテノが車を発進させると、あの運転手が車で近づいてきて質問してきました「どうして挑発されても冷静でいられたんだ?」。パテノは笑顔で答えました。「私は神様を畏れるクリスチャンでして、無理してあのような態度になった訳ではなく、これが私なんです」。パテノは続けて神様について語り、神様が彼を変えてくださったことや、人に対して親切に接するように導かれていることを話しました。 これを聞いた運転手は、自分が直面している困難な状況をパテノに打ち明けました。パテノは彼のために祈ることを約束し、「どんな困難でも神様が解決に導いてくださいますよ」と確信を持って伝えました。 日常生活で神様を第一にすることを選ぶと、すべてにおいて神様を第一にすることが自然になります。 私たちの生活で神様が一番になっていれば、什一や献金をお返しすることも心からの喜びとなるのです。今日、私たち一人一人が神様を第一に考えて生きることができますように。

礼拝メッセージ206 すべてあなたのために

説教者 :藤田佳大  240907 聖書朗読 :コリントの信徒への手紙一6章 19,20 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「キリストの実物教訓」第 28 章 「主は、奉仕が人生の真の目的であることをお教えになった。キリストご自身が、勤労者であられて、彼に従うすべての者に、神と人類に仕えるという、奉仕の法則をお与えになる。……他のための奉仕に生きるということは、人をキリストに結合させる。奉仕の法則が、わたしたちを、神と同胞とに結びつける鎖となるのである。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 102 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 150 節

礼拝メッセージ205 約束を信じて

説教者 : 伊藤 滋  240824 聖書朗読 :ヘブライ人への手紙 11 章1~3節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「人類のあけぼの」第 25 章 「神がお導きになる道は、荒野や海を通っているかも知れないが、安全な道なのである。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 422 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 396 番

礼拝メッセージ204 聖霊の導かれる方法

説教者 :花田憲彦  230805 聖書朗読 :使徒行伝 16 章9,10 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第 86 章 「神の愛は人類のためにはかり知ることのできないほど深く動かされたのに、これほど大きな愛を受けている者たちに表面的な感謝しかないのを見て、天使たちは驚く。天使たちは、神の愛に対する人々の浅薄な認識に驚き、天は、魂に対する人々の無関心さに憤慨している。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌6番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 150 番

報いてくださる神様

ある女性実業家が、困っている人を助けることを常に心がけてきたと語りました。しかし、たとえ相手が約束していたとしても、多くの人が借りたお金を返さなかったのです。

委ねる信仰

ファビアンがザンビアで高校最終学年に在学していたとき、兄が試験料としてお金を渡してくれました――必要な額のほぼ2倍の金額でした。多くの人なら、この余分なお金を自分のものにしたくなるかもしれませんが、ファビアンは違う見方をしていました。