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前回に引き続き、ジョン・フスとボヘミアのジェロームを巡る旅に出かけましょう。 ドイツのコンスタンツで、二人は聖書への信仰のゆえに火刑に処されました。 当時の処刑場での様子について、ある教皇派の言葉が残っています。 「彼らはまるで、結婚式の祝宴に向かうようだった。炎の激しさに負けず、彼らは讃美歌を歌い続けた」 フスとジェロームの人生は決して長いものではありませんでしたが、その忠実さや信仰は、彼らが亡くなった後も遺り続けたのです。
「神の裁き」というとどんなイメージを浮かべるでしょうか。 それは決して恐ろしい出来事ではありません。 裁きがあることによって、私たちは永遠の命に向かう道を選ぶことができるのです。 だから裁きのメッセージは、私たちにとって良き知らせ、素晴しい福音なのです。
12話に引き続き、ジョン・フスとボヘミアのジェロームの活動を巡る旅に出かけましょう。 1415年、ドイツでコンスタンツ公会議が開かれました。 いくつかの議題と共に上ったのは、ウィクリフの著作が異端であるという宣言です。 ジョン・フスはミュンヘンで裁判にかけられ、ジェロームは彼を助けるためにプラハを出立します。 しかし、ジェローム自身も道中で捕らえられ、牢に入れられることとなりました。
聖書を信じることは、根拠のないことを無理やり信じることではありません。 私たち人間の限られた知性の中では、全知全能の神がなさることのすべてを見極めることはできません。 しかし、心を開いて神の愛を受け入れるならば、私たちは、イエス・キリストを墓から蘇らされた神の力、復活の力を日々体験して生きることができるのです。
チェコ共和国にあるボヘミア地方を巡る旅へ出かけましょう。 ボヘミアは、宗教改革の偉大な英雄であるジョン・フスとジェロームの故郷です。 ジョン・ウィクリフの伝道活動に触発された二人は、密接に協力しつつ、生涯を通じて宗教改革活動に尽力しました。 彼らの影響は故郷のプラハを超えて広がり、今日まで生き続けているのです。
どんな患難の中にも、神様はあなたと共におられます。 あなたがどんなに弱くても、神様はあなたの中にある可能性を見つめ、憐れみをもってあなたにかかわり続けてくださるのです。 今回は、「慰めの子」と呼ばれたバルナバの生き方を通して学んでいきましょう。
「宗教改革の明けの明星」と呼ばれたジョン・ウィクリフを探る旅へ出かけましょう。 ラターワースはジョン・ウィクリフの職場であり、彼が最も重要な働きをした場でもあります。 オックスフォード大学で教育を受けたウィクリフは、学者であり、無類の論客でもありました。 学生時代には、修道士たちの怠惰な生活を糾弾し、ローマの不興を買いました。 彼は「改革者」という言葉が広まる前から、ただ一人、時代の変革の声だったのです。
ある人たちは、今のままでは救いがないと知りながら、これまでの習慣や生活を変えることを恐れて、クリスチャンになる決心をしかねています。 神を信じ委ねたら、もっと素晴らしい世界に踏み出せるのに、祝福を受けそこなってしまうのです。 新しい一歩を踏み出すために必要なことは何でしょうか。
河原牧師は、人生の中で痛い経験をたくさんしてきました。その経験を面白おかしく聞きながら、イエス様が私たちのためにうけられた究極の痛みの大切な意味について考えてみましょう。
マグナ・カルタ憲章の意義と、ジョン王とローマ教皇イノセント3世の緊張関係を掘り下げる旅に出かけましょう。 マグナ・カルタ憲章は、今から800年余り前の1215年6月、ラニーミードにおいて締結され、民事的にも宗教的にも重要な意味を持っています。 マグナ・カルタ憲章は歴史上最も重要とされる文書の一つですが、多くの人がその名称を聞いたことも、全文を読んだこともありません。 その内容は、世界中で自由と解放を喚起し、誰も法の上に立つものではないことを示しているのです。
ある母と娘が自分の家を焼いてたくさんの人のいのちを救いました。 タイで起こったお話で、この母娘は大変な「犠牲」をはらいました。 イエスさまはもっとすごいことを私たちにしてくださったのです。 そんなお話です。 講師:河原久
初代教会の人々の信仰がなぜ燃え上がったのか。 それは、彼らに与えられた宣教という使命を果たすための祈りがあったからです。 他者を救いに導きたい、その愛、その執り成しの祈りに聖霊は働きます。
悪いことをした時に、正直に話すことはなかなか難しいことです。 でも、勇気を出してあやまる時、きっと素晴らしいことが起きます。 日常生活の例話と聖書の有名な例え話からお話しします。 講師:河原久
今回はアルビジェンヌ派について探る旅に出かけましょう。 神の言葉に忠実であったワルド派のように、アルビジェンヌ派は南フランスを拠点に同様の信仰を持っていました。 13世紀初頭のローマ教皇インノセント3世の時代、多くの信徒が迫害されましたが、特にアルビジェンヌ派は、20年以上にわたって迫害され続けました。 教皇は南フランスの聖書を信じる信仰者を一掃しようとしたのです。
やっとコロナの影響下でのマスク着用の考え方が緩和されました。 マスク着用時は、なかなか微妙な表情の変化に気づけないことがあったと思います。 イエス様は気づきの人でした。 そんなイエス様のすごさをお話しします。 講師:河原久
聖書には、対照的な2つの大きな都が登場します。 その2つの都は、私たちの生き方と、その生き方が導く私たちの運命を象徴しています。 2つの都の間で揺れ動く心を治める確かな生き方とは?
沖縄三育小学校のバイブルウィーク初日のために収録したお話です。 みなさんのお母さんのすごさと、イエスさまの偉大さを知ることができる楽しい話題が満載です。 今日はお母さんに『ありがとう』を言いたくなるかもしれません。 講師:河原久
今回は、ワルド派のモットーである「Lux Lucet in Tenebris」、つまり「暗闇の中の光」を理解する旅へでかけましょう。 ワルド派は、養成所や礼拝所、時には洞窟の中で若者たちを指導しました。 彼らはしばしば迫害され、身を守るために隠れなければなりませんでした。 そのような状況下で、また、人々は山間部に散らばっていたにもかかわらず、洞窟というシェルターで共に礼拝を行っていたのです。
初代教会は迫害という危機の中で、心を一つにして祈りました。 彼らは祈りこそが最強の武器であることを知っていたのです。 その結果、数々の奇跡が起こりました。 今を生きる私たちには、どのような武器が必要でしょうか。
渓谷の高台に住んでいたワルド派の生活を探る旅に出かけましょう。 彼らは迫害を避けるため、渓谷の低地から逃れました。 以降、彼らは「普通」の生活を営むこととなりますが、ここで言う普通とは、宣教師を養成し、過酷な土地で聖書を学び、若者を訓練することでした。 彼らは学生や労働者として働きながら、同時に宣教師としてヨーロッパ全土に福音を広めたのです。
英和辞典で「クリスチャン」と引くと、「隣人愛をもっている」とか、「上品な」「尊敬すべき」「敬虔な人」という意味が書かれています。 もともと、この名称はどこから生まれたものなのでしょうか。 歴史上、最初にクリスチャンと呼ばれた人たちの生き方について学んでみたいと思います。
今回はワルド派の経験を通して、黙示録12章6節にある「荒野の教会」を探る旅に出かけましょう。 ワルド派の人々は、非常に長い歴史を持つ信仰者たちです。 「ワルデンセス(ワルド派の人々)」とは「渓谷の人々」という意味を持ちます。 ここから数回にわたり、彼らが故郷と呼んだ谷を訪ね、彼らが生活し、そして命を落とした場所を見ていきましょう。 宣教と奉仕に忠実で、献身的であった人々の姿を見ることができます。
前回までのアイオナからウェールズに移動し、ディノートが新たな訓練校を設立した場所であるバンゴー・オン・ディーへ向かうことにしましょう。 ディノートはコロンバから訓練を受け、後にウェールズ伝道のため尽力した人物です。 コロンバヌスはバンゴールで訓練を受け、フランスに学校を設立するために旅立ちました。 もはや、この地の若者たちは、アイルランドやスコットランド、ウェールズに出向いて宣教師の訓練を受ける必要はなく、ヨーロッパで最高水準の教育を受けることができたのです。 その後、コロンバヌスはフランス、スイス、ドイツ、イタリアで宣教を行い、ヨーロッパ大陸に訓練所を設立しました。
コルネリオとその家族は、み言葉をストレートに受け入れる素直な信仰を持っていました。 彼らが心を開いて神の言葉を受け取った時、聖霊の雨が注がれました。 心を開いて幼な子のようにみ言葉を聞くならば、あなたの人生にも驚くべき祝福が降り注ぐのです。
楽しかった取材も、いよいよ最終日です。 広島三育学院の特徴の1つ、音楽教育について、 そして、大自然の中の広大なキャンパスツアーの様子をご紹介します。 高校生に「学校や寮生活の魅力」もインタビューしてみました。 コロナ禍、通常時はスマホなどが使えない一見窮屈な環境下で、 24時間共に生活している生徒と先生の生き生きとした様子をどうぞ! 広島三育学院公式HP:https://www.saniku.ac.jp/hiroshima/ YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@HSaniku 資料請求:https://www.saniku.ac.jp/hiroshima/request/
今回は、キリスト教の潮目が変わった出来事を巡る旅に出かけます。 7世紀、イギリスのヨークシャーでは、ケルト系キリスト教が主流でした。 これは、スコットランドのアイオナから派遣されたエイダンの布教活動によるものでした(リニエージ第3話)。 しかし、西暦663年にウィットビー教会会議が開催されます。 そこで行われた公開討論により、イングランドはケルト教会ではなく、カトリック教会教皇庁の教えに従うようになったのです。 その後、デンマークのヴァイキングがイングランドを席巻し、再び異教が広まっていきました。
間もなくクリスマス、街は特別な雰囲気につつまれ、特別な気持ちになる人も多いかもしれません。なぜ、クリスマスはそんな雰囲気を私たちにもたらしてくれるのでしょう?クリスマスの真の意味を考え、共にその真の喜びを味わいましょう。メッセージとアカペラ四重唱の歌をあなたに! メッセージ:松下晃大牧師 歌:「Now is born the divine Christ child」THE HOLY HOST ミュージック動画制作提供:THE HOLY HOST YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@theholyhost3193
エイダンの働きを探る旅に出かけましょう。 彼は7世紀に、ノーザンブリア地方オズワルド王の要請により、「聖なる島」とも呼ばれるリンディスファーン島に渡りました。 そして島に訓練校を設立し、イングランドにおける布教活動の拠点としたのです。 エイダンの働きはフィナンに引き継がれ、フィナンの働きはコルマンに引き継がれました。 この3人は、イギリスで新約聖書の教えを力強く宣べ伝えたのです。
クリスマスの時季ですね。 今年は久々にコロナによる行動制限無しで迎えたこの季節、もう一度「もろびとこぞりて(全ての人が集って)」イエス様がこの世に来てくださったことによる救いの祝福を感謝したいですね。 素敵な投稿賛美歌が届きました。 何度かホープチャンネルでもご紹介しているホーリーホストです。 大人のアカペラハーモニーで待ちに待ったキリストの誕生に思いをはせましょう。
偉大な宣教師であり、宣教師の育成者であるコルンバの働きを探る旅に出かけましょう。 コルンバはアイルランド出身で、長年アイルランドで活動し、300以上の教会と、宣教師養成学校を建てたと言われています。 また、563年には200人の仲間とともにスコットランドのアイオナ島へと旅立つなど、海外宣教にも熱心でした。 コルンバは、この時代のキリスト教宣教に大きな影響を与え、アイオナ島は数世紀に渡り、ケルト教会の中心的存在となりました。
私は以前、「がんばり続けることによって神様に受け入れてもらおう」という思いをもっていました。 でも、がんばり続けることによって罪の赦しを得ようとしても、平安は得られません。 しかし、弱い自分をありのままで受け入れてくださっている神様の愛を知った時、私は喜びに満たされました。 神様はあなたに素晴らしいプレゼントを用意してくださっています。それを求めましょう!
ローマの宗教観を大きく変えた、コンスタンティヌス大帝を探る旅に出かけましょう。 コンスタンティヌスは西暦306年のマクセンティウスとの戦いの前、「あなたはこの戦いに勝利する」という神からの言葉を耳にしました。 この出来事は、コンスタンティヌスがキリスト教に改宗するきっかけとなりました。 そしてこれ以降、キリスト教は2つに分かれていくことになるのです。