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説教者 : 伊藤 滋 240824 聖書朗読 :ヘブライ人への手紙 11 章1~3節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「人類のあけぼの」第 25 章 「神がお導きになる道は、荒野や海を通っているかも知れないが、安全な道なのである。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 422 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 396 番
説教者 :花田憲彦 230805 聖書朗読 :使徒行伝 16 章9,10 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第 86 章 「神の愛は人類のためにはかり知ることのできないほど深く動かされたのに、これほど大きな愛を受けている者たちに表面的な感謝しかないのを見て、天使たちは驚く。天使たちは、神の愛に対する人々の浅薄な認識に驚き、天は、魂に対する人々の無関心さに憤慨している。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌6番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌 150 番
ある女性実業家が、困っている人を助けることを常に心がけてきたと語りました。しかし、たとえ相手が約束していたとしても、多くの人が借りたお金を返さなかったのです。
ファビアンがザンビアで高校最終学年に在学していたとき、兄が試験料としてお金を渡してくれました――必要な額のほぼ2倍の金額でした。多くの人なら、この余分なお金を自分のものにしたくなるかもしれませんが、ファビアンは違う見方をしていました。
ジャスティンの画面に広告が表示された。「祈りが必要ですか?私たちはここにいるので、お話を聞きます。」偶然?いいえ。その特に辛い夜、それは単なる偶然を超えたもののように感じられた。ジャスティンはあらゆる手段を試した——異なる宗教、壊れた人間関係、空虚な約束、薬物、アルコール——少しでも楽になるために。
アルナルドは仕事もなく、将来の見込みもなく、希望は薄れつつあった。彼のタトゥーで覆われた腕——過去を映す地図——は、スマートフォンで祈りの広告を閲覧する際に緊張していた。驚いたことに、応答したのはAIではなく、本物の担当者だった。ミシガン州の24時間体制のオフィスから応答したのは、アドベンチスト・コネクトの祈りのチームメンバーで、その祈りと励ましの言葉は彼にとって命綱となった。
聖書の中でイエスさまの御業が描かれている章のひとつに、イザヤ書 53 章 があります。ここでは、イエスさまが苦しみのしもべとして描かれています。 私たちの主であり救い主であるお方が、つぶやくことなく、あらゆる苦難を 耐え抜かれた理由は何だったのでしょうか?『患難から栄光へ』にはこのよ うに記されています。「骨折りと犠牲のご生涯の間、神のみ子を支えたものは 何であったか。キリストはご自分の魂の労苦の結果をご覧になって、満足さ れた。キリストは、永遠をご覧になり、ご自身の屈辱を通してゆるしと永遠 のいのちを受けた人々の幸福をご覧になった。キリストの耳は、あがなわれ た者たちの歓喜の叫びを聞きとられた。主はあがなわれた人々が、モーセと 小羊の歌をうたっているのをお聞きになった」(エレン・ホワイト『希望への光』 1585 ページ)。 キリストにとって、十字架によって救われた人の喜びが、すべての苦しみ を耐え忍ぶ原動力でした。 私たちも主の模範に倣い、苦難に耐え、惜しみない施しによって救われる 人々のために、主の御業のために、献身的にお献げいたましょう。天の国に おいて、大いなる喜びが私たちを待ちわびています。私たちが心からお返し する什一と統合約束献金を通して、誰かがモーセと小羊の歌を歌っている姿 を想像してみてください。 将来を見据えてお献げいたしましょう。キリストが私たちのすべての行い の中心にあるとき、私たちは自分の献金が人々の人生に影響をもたらしてい ることを知って喜ぶことができるのです。
2025年3期
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「神にできないことは何一つない。」ルカによる福音書 1 章 37 節 ムンディアがジンバブエのソルシ大学で神学の学士号を取っていた時、有名な伝道者であった故コーネリウス・マタンディコ博士が、大学キャンパスで「霊的強調週間」を行いました。ムンディアは妻と 2 人の幼い息子と一緒に、後方の席に座っていました。 毎晩、教会で心を惹きつけるメッセージに耳を傾けていると、彼らの前の席には絶えず仲間と談笑している青年がいました。ムンディアは、この青年が行動を改めなければ、自分を含む多くの人が説教のメッセージから恩恵を受けられないと感じました。そのため、ムンディアはこの青年のために祈りはじめました。しかし、祈れば祈るほど、その青年の態度はますます乱れるように思われました。 強調週間が終わる前に、マタンディコ博士が参加者にイエスさまを受け入れ、バプテスマを受けるよう呼びかけた時、ムンディアはあの困った青年が立ち上がって前に歩いていくのを見て驚きました。ムンディアは、この青年が本気なのだろうかと疑いました。翌日、その青年はいつもの席に座っていましたが、様子が一変していました。彼は静かに座り、真剣に耳を傾け、バプテスマを受けた多くの人々の一人となっていたのです。 私たちの学校は、多くの青年にイエスさまを紹介する重要な役割を担っています。このような学校はあらゆる場所に必要ですが、設立には多額の財政的支援が必要です。 私たちが統合約束献金を喜んでお献げし続け、多くの青年がアドベンチストの学校で学び、イエスさまを知ることができますように、お祈りいたしましょう。
題:「待ち続けた人」(25 分) 250208 説教者 :柴田俊生 聖書朗読 :イザヤ書 55 章8~9節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「キリストの実物教訓」第 28 章 「神の前に価値があるのは、なしとげた働きの量や目に見れる結果などではなくて、働きをした精神である。夕方の5時にぶどう園に来た労働者は、働く機会が与えられたことを感謝した。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 14 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 263 節
題:「I Believe Myself」(41 分) 240709 説教者 : 山地 悟 聖書朗読 :マタイによる福音書 26 章 31~35 節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「各時代の希望」第 73 章 「救い主は彼のうちに、キリストに対する愛さえ圧倒してしまうような自分を愛する思いと自信とがあるのをごらんになった。弱さ、克服されていない罪、軽率な精神、きよめられていない性質、試みにとびこんで行く無頓着さなどといったものが多分に彼の経験にあらわれていた。キリストの厳粛な警告は、心をさぐるようにとの呼びかけであった。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌 28 番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌 305 番
題:「わが主の導くところ」(36分) 230722 説教者:花田憲彦 聖書朗読:使徒行伝15章36~41節 瞑想の言葉 :E・G・ホワイト「患難から栄光へ」第20章 「使徒パウロは、自分の働きによって改宗した人々に対して、重い責任を感じていた。何よりも彼らが信仰を持ち続けて、「キリストの日に、わ たしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる」ようにと彼は切望した(ピリピ2:16)。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌90番 終わりの讃美歌 :希望の賛美歌327番
イエスさまは、マタイによる福音書 22 章 36 節から 40 節で 2 つの最も大 切な戒めを教えられました。第二の戒めは、『隣人を自分のように愛しなさい。』 というものです。私たちは隣人への愛をいくつかの方法で表すことができま す。たとえば、彼らが困難な人生の試練に直面している時、そばにいること、 入院して病気と闘っているときにお見舞いに行き、困窮しているときに助け の手を差し伸べることなどです。 隣人に対する私たちの愛は、彼らの物理的な必要を満たすことだけでなく、 救いのためにも投資すべきです。什一と献金をお返しするとき、私たちは神 様と共に働いています。神様の働きに献金することにより、私たちの心は、 イエスさまが御自身の命を献げられた男性、女性、少年少女たちに引き寄せ られるのです。エレン・G・ホワイトは次のように記しています。「もし、あ なたが神を最高に愛し、あなたの隣人をあなたと同じように愛しているなら、 それは目に見える形で、伝道の働きのための自由意志の献金として表される であろう」(エレン・ホワイト『祝福に満ちた生活』62 ページ)。 真理を求めている兄弟姉妹の救いのために、惜しみなく什一や献金をお返 しすることによって、神様と隣人への愛を表しましょう。
ある牧師が、ある町で伝道講演会をすることになりました。翌日、その町を歩いていると、思いがけず何年も会っていなかった昔の同級生に出会い、2人とも久しぶりの再会を喜びました。 その友人が訪問の理由を尋ねると、牧師は 3 ヶ月後に予定されている伝道講演会に向けて準備をしていると説明しました。友人はその話を聞いて感激し、今度の講演会で最初にバプテスマを受けると約束しました。その友人の熱意に牧師は、彼ならイエスさまに人生を献げる招きを即座に受け入れるだろうと確信しました。牧師は翌日、その友人を教会に招くことも考えましたが、3 ヵ月後で良いだろうと自分をなだめて思い留まり、3 ヵ月後の再会を期待して別れました。 3 か月後、牧師は現地に到着し、バプテスマを受ける準備ができている尊い魂が既に一人いると思い、楽観的な気持ちでいました。既にバプテスマを受ける約束している人がいる状態で伝道講演会を始めるのは珍しいことでした。牧師はこれを豊かな収穫の兆しととらえ、講演会後には多くのバプテスマが与えられるに違いないと確信していました。 到着すると、講演者はちょっと離れた場所にテントが設置されているのに気づきました。葬儀のためだと思った講演者は、誰が亡くなったのか尋ねました。関係者から亡くなった方の名前を聞くと、それは、まさに伝道講演会でバプテスマを受けると約束していた牧師の友人だったのです。 講演する牧師は深く悲しみ、友人をイエスさまに招くのを遅らせてしまったことを悔やみました。 私たちも、手を差し伸べるのを遅らせてしまうことがあります。今、神様のメッセージを届けられるうちに、福音を伝える心を祈り求めましょう。什一と統合約束献金をお返しする今、私たちの友人に福音を伝える機会が与えられますように祈り求めましょう。
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」エフェソの信徒への手紙 5 章 16 節 機会は永遠には続きません。「失った機会は二度と訪れないかもしれない」ということわざもあります。 今日言わずにおいた言葉は、明日、もう言えないかもしれません。今日届けることができなかった人には、明日も届けられないかもしれません。今日福音を伝えられなかった人が、明日、私たちを迫害するかもしれません。献げる機会を逃したら、その機会は二度と巡ってこないかもしれません。仮に、また訪れたとしても、今日成し遂げられたはずのことを果たせないかもしれないのです。 神様の御業のために与えられた、あらゆる機会を有効に活かしましょう。なぜなら、今日私たちに与えられている機会が、明日にはもうないかもしれないからです。私たちが心からお返しする什一と統合約束献金を通して、どこかの誰かが神様と出会うことを確信しつつ、祈りを持ってお返しいたしましょう。
「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。」コヘレトの言葉 9 章 10 節 「機会」という言葉は、ロングマン辞典によると「何かをするチャンス、または何かをしやすい状況」と定義されています。もしそうであるなら、既にご承知の通り、「機会」の瞬間が永遠に続くことはない、ということです。機会は訪れては去っていくものです。 この教会にいる私たち一人ひとりに、何かをするチャンスが与えられています。生きていること自体、死んだらできないことを、するためのチャンスです。教会で神様の御言葉に耳を傾けることは、イエスさまに人生を献げるチャンスであり、機会です。健康であることは、伝道活動に参加できる機会であり、この献金のメッセージを聞く時は、神様の御業を前進させるために献げる機会なのです。しかし、このような機会が永遠に続くことはありません。 もし私たちに支援できる手段が与えられているのなら、それは神様の働きを支えるチャンスです。私たちの力で神様の働きを支えるチャンスも永遠には続きません。什一と統合約束献金をお返しする今、神様の御業を前進させる機会を逃さないようにいたしましょう。
説教者:島田隼人 250215 聖書朗読:ペトロの手紙一5章7節 瞑想の言葉 :「私が生きた信仰」 「試練の猛攻撃を受けるとき、状況や自分の弱さを見ないで、神の御言葉の力を見なさい。その御言葉のすべての力はあなたのものです。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌10番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌273節
説教者:河原 久 240309 聖書朗読:箴言3章16節 瞑想の言葉:イザヤ書30章21節 「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け右に行け、左に行け』と。」 始めの讃美歌 :希望の讃美歌317番 終わりの讃美歌 :希望の讃美歌318番































